腹がへった。
時々お腹を撫でながら、今夜の店を目指していた。
ふと、見慣れない神社を見つけて吸い込まれてしまった。
なんとなくお参りをする。
「力石のアホ……といえば、しばらく会ってないぞ……?」
手を合わせながら、よくよく考えてみた。
一週間にはなるだろうか。
最近では珍しい、時間の空き方だ。
「……死んでないだろうな……あいつ」
孤独死は、若者にだってあるだろう。
倒れている姿を想像して、合わせた手が震えてくる。
こんな心配をするくらいなら、力石の家を訪れておけばよかった。
力石は俺の部屋に泊まるけれど、その逆はまだ一度もない。
別に、こだわりなんかはなく、ただ、酔っ払った俺を送ってくれる流れからが多いだけだ。
人のいる部屋では眠れないなんて言っていた力石の、死んだように眠る顔を、俺はもう何度も見ている。
力石と無防備な寝顔なんて、この世で一番似つかわしくない物だと思う。
それを、俺だけが見つめられるのだ。
抱きしめられて、身動きが取れない夜も明け方も、深い夜の奥で触れる熱さも、思い出すだけで恋しくなってくる。
恋しいなんて、長い人生で考えた事もなかった。
俺は、力石を嫌いではない。絶対に。
「……元気で、いますように……」
そっと合わせた手を、擦り込むように祈った。
「……ぬ?」
神社を出て、再び腹を撫でながら歩いていた俺の前に、見慣れた姿が現れた。
「あ、本郷さん。久し振りだな」
この声。
しばらくぶりの笑顔だ。
力石は、少しも変わらない。
「本郷さん、今夜はどちらに?」
「ああ、その先の……」
「やっぱり」
いつもなら、俺の真似っ子だと嘲り笑う所だけど、今夜は嬉しい。
わざとぶつけるようにして、一度、肩をくっつけた。
軽い衝撃も嬉しい。
そのまま、ほんの少し、力石と肩がくっつくように並んで歩く。
「元気にしてた?」
「力石こそ。しばらく見なかったぞ?」
「ちょっと出かけてて……」
「へえ」
俺は、会わない間の力石が何をしているのか、全く知らない。
知らなくても一緒に飲めるし、戦う事も出来る。
ついでに、その身体に触れる事だって出来るのだ。
知らないなんて、些細な事だった。
「……あの、すいません」
不意打ちの声が、俺と力石の間に飛び込んできた。
思わず振り返って、目玉が飛び出そうになる。
眩しい、女性。
「リキイシさん、ですよね?」
俺の存在など、ないに等しい。
二人組の若い女たちの目は、力石しか見ていない。
「あの、サインと……写真、一緒にお願い出来ませんか?」
「駅で見かけて、追いかけてきたんです」
「すいません。今、プライベートな時間なので」
女と、力石を見比べていた俺が、慌ててしまった。
「お、おい……」
「行こう、本郷さん」
「でも」
「いいんだ。すいません」
もう一度、力石は丁寧に謝った。
何?
今、何があったんだ?
「本郷さん、行こう」
「へっ?」
動けない俺の腕を強引に掴んで、力石が歩き出した。
謎が深まる。
「力石……」
「後で、説明する」
どんどんその姿が遠くなる。
若い、女たち。
一体、力石の何だったのか。
足がもつれそうになりながら、俺は力石に引っ張られていた。
「本郷さん、ごめん。実は俺、謝る事が出来た……」
ようやく店に落ち着いて、一杯目のビールをあけた。
空きっ腹にビールはよくないと聞くけれど、それはその場合にもよるだろう。
今夜の俺には最高の一杯だ。
「な、何だよ……俺にって……そんな覚え、ないけど……」
唐突に力石が、神妙な顔で俺に頭を下げてきた。
俺も力石も、まだ酔ってはいない。
力石が俺に謝る事。
いつも、格好よく俺から勝ちを奪っていく事だろうか。
気づいていてあの態度なら、力石は最悪に性格が悪いと思う。
「さっきの……」
「え? ああ、おまえは結構、格好いいからな。別に嫉妬してる訳じゃないぞ」
力石は、道で若い女に声をかけられた。
人違いではない。
向こうはきちんと、力石と認識して、力石しか見ていなかった。
「実は、雑誌に載っちゃって……」
「……へ?」
ちらりと俺を見た力石は、いつもより眉が二ミリほど下がっている。
雑誌に、載る?
お便り欄に採用されたのか、懸賞が当たったのか。
いや、待てよ。
「おまえ……とうとう、そういう……」
「そういうって?」
「金に困って、エロ雑誌に……投稿なんかしやがったのか!」
「……俺が?」
真顔で問われて、答えに詰まった。
爆乳の美人じゃあるまいし、力石がエロ雑誌に載る意味は、全くない。
「……今度の映画の広告というか、軽いインタビューが載るだけのはずだったのに、プライベートというか、飲み屋でくつろぐ最近の写真まであって……」
「インタビュー? 写真って、何の?」
「言ってなかったけど……俺、役者やってる」
やくしゃ。
言葉の意味が全くわからなくて、力石の顔を睨みつけてしまった。
「やく、しゃ……って、役者……え? おまえ、そうだったの?」
力石が頷く。
言葉にして、初めて理解出来た。
力石は、役者だったのだ。
「ちょ、ちょっと待て! それって、テレビとか出てるって事か?」
「テレビはあんまり出てない。だから、本郷さんは知らなくて当然……」
「じゃあ何だ? テレビじゃないって……」
「映画」
「映画? 映画って、銀幕のスタアって奴か?」
衝撃と興奮のあまり、俺自身、言ってる意味がわからない。
「そこまでじゃないけど。今度、ちょっとだけ目立つ役に抜擢されてな」
「そうか! それでおまえって、会う時と会わない時があるのか!」
「……会話が噛み合わない……」
力石が笑う。
それで、今までの謎が、少しだけ解けた気がした。
約束をした事はないから、街で会うのは偶然ばかりだ。
大抵、俺の行く店に力石がいて、一緒に飲み食いする事になる。
けれど、会わない時はとことんまで会わない。
俺も、他所に行く時だってあるから、あまり気にはしていなかったけれど、力石の理由はそうだったのだ。
「ロ、ロケ、とか……行くんだ?」
「そう。今日の朝に帰って、少し寝て……」
「あっ! 博多の土産!」
「博多? あれ、本郷さんに買って来たっけ?」
「あ、いや……俺にじゃないけど……博多、行ってたよな?」
「よく覚えてたな。あれも映画の撮影」
なにやら、力石が輝いて見えてきた。
芸能人のオーラという奴か。
「それで、今出てる雑誌で、本郷さんと一緒に飲んでる写真があって……ごめん」
「あ……俺? 俺が? なんで?」
「だから、飲み屋でくつろいでる写真。気がつかなくてな。出来上がったの見て、びっくりした」
知らぬ間に、俺も追われていたのか。
力石との関係。
あらぬ想像をしてしまった。
一緒にいるようになったのは、少し前からで、外ではそんなに親密にしてはいない。
多分。
「あっ! もしかして、俺んちに盗聴器とか、カメラとか仕掛けられてるとか?」
「絶対にない」
「……あ、そう?」
けれど、俺の部屋での話になると、確実に力石が危ない。
俺がファンに殺されるだろう。
力石の全てを、独り占めしているのだから。
「嫌になった?」
「え?」
「こういうので、俺の事、嫌になった?」
力石は二度、繰り返した。
何が嫌になるのか、俺にはさっぱり理解が出来ない。
「……おまえの職業が、ようやくわかったって話だよな?」
「ああ」
「エロ雑誌に投稿してる常連ではない、と」
「そんな事、絶対しない……」
「あるなら見せてほしいくらいだぜ」
「……見てるだろ。っていうか、本郷さんとは一緒に眠ってる」
「お、おお……あれは、役じゃないよ、な?」
「当たり前だ。本郷さんしか知らない」
力石は、優しい時と、優しくない時の差が激しい。
食の陣立をしている時は、鬼のような力石だ。
俺の部屋で、ゆっくり身体を伸ばしている時の力石は、俺もその隣で伸びていたいほどに優しくて甘い。
「嫌じゃない」
俺が言った途端、力石が、軽く息を吐き出した。
「力石?」
「……ああ、よかった」
力石は、日頃全く感情を表さない。
役者なのだとわかった今、そのクールな面がどこから来るのかもわかった。
けれど、今、俺の目の前にいる力石は、いつもと変わらない。
その素顔に、心の底から興奮してきた。
「今日、このまま……」
いつものように誘いかけて、言葉が止まった。
万が一、どこからか盗撮されていて、再び俺も激写されてしまったら、どういう見出しになるんだろう。
『力石の選んだ最高の男、その名も本郷播』
なかなか、悪くはない。
「……泊まって行ってもいいぜ」
「どうした? 本郷さん、いきなりその格好いい言い方は……」
「いや。別に。俺は普通だろ?」
「ちっとも普通じゃないけど……本当に、行ってもいい?」
「来てくれ。力石は、変わらないんだろ? 俺だってちっとも変わらない」
「抱きしめるよ?」
「お……おお、望むところだ」
力石が、俺をじっと見つめて笑った。
「やっぱり、本郷さんはいいな」
「そうか?」
「一番、安心出来る」
伸びて来た手が、俺の手を握った。
熱い。
「お、おい、こういうの、写真に撮られたら……」
「もういいよ。酔っ払いのスキンシップだ」
「スキンシップって……ハレンチだろ」
「本郷さん……大好きだよ」
「こ、こら……スキャンダルだぞ、おまえな……」
力石の顔も近づいてくる。
気を許した後だからって、大胆にもほどがある。
「力石! こら、力石って……」
「本郷さん?」
不意に目が醒めた。
さっきまでいた店ではない。
俺の部屋だ。
布団の中で、力石が、俺の顔を覗き込んでいる。
「あ……れ?」
「大丈夫? いきなり叫びだして」
「……夢……? 今の、夢だっ……た?」
じっと、力石の顔を見つめる。
なかなか穴はあかない。
「本郷さんの見てた夢まではわからないな……」
「そりゃ、そうだな……というか、俺、寝てたんだ?」
「今夜はそんなに酔ってなかったと思ったけど、意外と飲んでたんだな」
ふと見た力石は、パジャマすら着てなかった。
どっちが酔っ払いだ、と思って、腕を伸ばした俺も、何も着ていない。
恐る恐る動かした足も、そのまま布団と、力石の足に触れているような気がした。
パンツの存在すら感じられない。
「おい、俺って……裸……」
「途中」
「へ?」
途中の言葉に込められた響きで、今夜の全てを思い出した。
力石に抱きしめられて、気持ちよくなる方向を間違えて、俺は眠ってしまったのだ。
「突然力が抜けて、いびきかき始めるから、脳内出血でも起こしたのかと思って、本気で慌てたよ」
「そんな年じゃないって!」
「興奮のあまり?」
「バ、バカ!」
楽しそうに笑われては、怒る事すら出来ない。
「本郷さん、時々、子供みたいに寝るな」
「子供だと? おまえこそ、夢の中で、俺にすごい告白したくせに……」
「何だ、それ」
「力石の秘密を聞かせてもらったんだよ!」
「……俺が知らない秘密? 俺から?」
「ああ」
「それはすごいな」
力石は笑う。
笑いながら、俺の頰をくすぐるように撫でている。
気持ちがいいの続きだ。
「まあ、本郷さんになら、何を話してもいいけどな」
「聞きたいなら、後で話してやる」
「今じゃないのか?」
「……どっちが先がいい?」
「ん?」
「俺の夢の話と、これ……」
ぐっと手を伸ばして、覆いかぶさろうとする力石の首に噛み付いた。
続きは、俺から熱くしてやってもい、い。
「積極的な本郷さんは、すごく好きだよ」
「あ……あれ……?」
「後で、聞かせてくれる余裕があればな」
しまった。
力石を本気にさせてしまった。
中断の原因になる睡魔のおかげで、俺はしっかり目覚めている。
「力石……手加減を……」
ニヤリと笑った力石は、手加減なんて言葉の意味がわからないかのように、そのまま強引に力を込めてきた。