死ぬほど目がかゆくて、力尽きてました…
(ここ数年、ちっとも気配がなかったのに!!)
変な話になっていくのは、花粉のせいです……
本郷さんが足の爪を切っている。
パチン、パチン、と響く小さな音は心地よい。
「……こっち向いたらいいのに……」
「バカ。爪が飛ぶだろ」
おもむろに背中を向けるから、俺に見せるのが嫌なのかと思ってしまった。
「そのくらい、別にいいさ」
「俺は気にするの! お主に失礼だろ」
切った爪が飛んだくらいで失礼も何もないと思う。
けれど、そういう本郷さんの気持ちはとても嬉しい。
「……力石は、自分で爪なんざ、切らねえんだろ」
「え? どうして?」
「モテ男は、美女に切らせる……とか」
「無茶言うなあ、本郷さん。そんな男、モテないぜ」
「そうか? お主が座ってるだけで、爪切り始まってそうだけどな」
本郷さんは、どういう俺を想像しているのだろう。
口を開くとモテ男だと言ってくるけれど、俺はそんなにモテない。
楽しく食事をしたり、あちこち出かけたりする相手に不自由はしてないけれど、誰とも深くは付き合っていない。
どこか面倒になって、一人でいる時間を優先してしまう。
誰かとずっと一緒にいられるなんて、本郷さんが初めてだ。
「本郷さん、俺が切ってやろうか」
「へ? なんだ、いきなり」
「美女じゃないけど、爪切りくらい出来るぜ」
「爪切りってのはな、そんな簡単じゃないんだ。そもそも……」
人類の叡智を集めた、繊細よりも繊細な、髪の毛一本の切り幅で命拾いする……
なんて、本郷さんの演説が始まった。
本郷さんは、どうしてこんなに楽しいんだろう。
ずっと話を聞いていたい気にさせられる。
俺にとっての特別な人。
「……そう。特別なんだよな……」
「なんだ? いきなり」
絶好調だった本郷さんの話の腰を折ってしまった。
「ごめん。爪切りはわかった」
「へ? あ、ああ、わかれば、うん」
不思議そうな顔をして、本郷さんがまた背中を丸めた。
真っ直ぐで、いい背骨をしている。
「本郷さん」
「ん?」
「あとで背骨、舐めさせて」
パチリ、と音がした瞬間、本郷さんが叫んだ。
「痛っ! お、おまえ、何を……深爪しちまった!」
「あ、悪かった」
「悪かったって……爪切ってる人間を動揺させるなんて……」
「ごめんってば」
ふわりと、本郷さんの背中を包むように抱きついた。
「……どれだけ深く切ったのかと思ったら……別に普通じゃん」
「おいおい、いつもより二ミリは短いだろ? 爪の二ミリったら、お主の身長でいうと……」
「俺の身長?」
「い、一億メートル分だ!」
突然のスケールのでかさに、吹き出してしまった。
「笑うなって、それに、暑苦しいんだから、離れろ!」
「……俺はどこも切ってないから、イメージ療法ってやつ?」
「なんだそりゃ」
「抱きついて、念を送る」
バカ、と、本郷さんが呟いた。
俺の唇は、ちょうど本郷さんの首筋に触れている。
回した腕に力を込めて、本郷さんから離れない。
「おい……爪切ってる途中……」
「もう痛くない?」
「ぬ」
本郷さんの痛みがなくなったのはよかったけれど、俺が離れたくなくなっていた。
「おい、力石。いい加減に……コアラみたいなのやめろ」
「コアラ?」
「お主は、パーカーの色からしてコアラだ」
「動物園に行きたいなあ。あ、今度、動物園デートしようぜ」
デート、と本郷さんが呟いた。
声が少し震えている。
「……ダメだった?」
「いや……力石とデートって……新鮮な響き」
「明日でもいいくらいだ」
「今夜は? コアラは見せてやれるぜ」
「どういう意味……力石のコアラ……って……?」
俺がコアラの色だと言うから、そのままの意味で言ったのに、どうやら本郷さんは深読みをしてしまったようだ。
俺としては大歓迎だ。
夜が楽しくなる。
「色々見せてやるよ。楽しみにしてくれ」
「……そもそも、俺は足の爪を切ってるんだからさ!」
「あとでゆっくりケアするから」
「お前、俺の話聞いてないだろ!」
コアラだって、ここまでしがみつかないだろうというくらい、本郷さんにくっついた。
騒ぐ本郷さんの声は、やはり気持ちがいい。
怒られながらも、このまま眠れる、なんて思ってしまった。