暖かくなったと思いきや、なぜか風が冷たい今日この頃。
本郷さんは文句を言ってそうですが、静かに笑う力石にたしなめられるんでしょう。
ラブ。
少し寒さを感じる夕方だった。
俺はいつものように今夜の店を目指して歩いていた。
なんとなく鍋が食べたい。
うまい鍋をゆっくりと、熱燗で味わうのも悪くない。
そう思いながら、角を曲がった時だった。
目の前に、見覚えのある後ろ姿があった。
トレンチコートと、多分かぶる角度も考えているだろう帽子と。
「本郷さんだ……」
それが、背筋を伸ばして、握りしめた拳をリズミカルに振りながら歩いている。
とても嬉しそうだ。
見ているだけで安心出来る。
「本郷さん、どこに行くんだろ。声をかけて、一緒に鍋もいいかも……」
追いかけようと、少し足を早めた時だった。
ふと、目の前の本郷さんの足が止まった。
そのあたりに店はない。
「……?」
本郷さんが、少し先を見つめている。
俺もじっと見つめてわかった。
知らない人がいた。
「ん?」
よく見れば、その人はグレーのパーカーを着ていた。
身体つきに何となく覚えがある。
もしかして。
何やら小声で叫んだ本郷さんが、首をすくめた。
じっくりと、伺うような姿勢だ。
わかった。
本郷さんは、先を歩く人を、俺だと思ったのだ。
あれは俺じゃない。
こっちが追いかけて、本郷さんを捕まえなくてはならない。
なぜそんな風に思ったのか。
止まっている本郷さんに追いつくのは簡単だった。
「本郷さん、こんばんは」
「……ぬ……えっ? 力石!」
背後から声を掛けた俺を見て、本郷さんは確実に五センチは飛び上がった。
「何? 何で? お前今、あそこにいたじゃ……あれ?」
どんどん歩いて行く背中と、本郷さんの目の前にいる俺を見比べて、口をパクパクさせている。
「あの人、俺だと思った?」
「え……違……あ、そういう事か!」
一瞬で、身体の力が抜けたようだった。
本郷さんが、大きなため息をつく。
「おいおい、昨日会ったばかりだろ? 普通、見間違えるかな」
「いやっ、見間違えたんじゃなく……そう、勝手に俺に思い込ませたんだよ、力石が!」
謎の言い訳だ。
けれど、真面目に考えて、真面目に答えようとしているのが、この表情でわかる。
すごく、可愛いと思ってしまった。
「なあ、あの人が俺だったら、追いかけてくれた?」
「……お前が勝手に俺の先を歩いてただけだろ……」
「ふうん……」
口唇が尖っている。
本郷さんが嘘をつく時の癖だ。
こんな些細な仕草がわかるほど、俺は本郷さんを知っている。
「本郷さん。今夜、鍋を食べないか?」
「えっ」
「ちょっと寒いから、熱燗と合わせて」
男らしい眉毛が揺れる。
「……俺と、同じ夜か……」
「ほんと? なら好都合だ。一緒に食べよう」
軽くその肩を叩いた。
力の抜けた本郷さんに、新しい力を注いでいる気分だ。
見る間に、その背中が真っ直ぐになる。
「俺が、確実に俺が、先に歩いてたんだから……力石が真似っ子の夜だよな……」
「何?」
「い、いや! 今の、前行く人が力石じゃなくて、本当によかったよ」
本郷さんが笑顔になった。
俺も、一緒にいられて嬉しい。
二人して、立ち止まったまま、笑い合ってしまった。