「ん……そいつはちがう、だろ……」
不意の大声に、目が覚めてしまった。
隣で眠る本郷さんだ。
「……本郷さん?」
さっき眠ったばかりだ。
変な時間に、俺は、起こされてしまった。
「かえる……だよ」
「……何?」
思わず、肩に触れて、ゆり起こす。
「本郷さん、ちょっと。起きろよ」
「んん……エッチ……」
「誰がだ。おい、本郷さんって」
途中で立ち上がって、蛍光灯をつける。
本郷さんの部屋で気に入っているのは、横着するためにと、電気のコードを伸ばしていないところだ。
きちんと起きなければ、電気をつけることも消すことも出来ない状態を、自分で作っている本郷さんは、実に几帳面でいい。
「……おお……目が……死ぬ……」
「悪い。けど、起きてくれ」
「ん……力石……いたのか……」
「本郷さんが、放してくれなかったからな」
半分くらい、いいように言ってしまった。
今夜の店で、本郷さんは久し振りに泥酔した。
コートを脱ぐのはいい。
上着だって、暑かったのだと思ってあげる事が出来る。
けれど、ネクタイを外して、ワイシャツのボタンをどんどん外していくのは、さすがに見逃す事が出来なかった。
さりげなくその手を止めて、家まで送る事にした。
「……前だったら、楽しく見守る事が出来たのにな……」
以前、串カツの店で会った本郷さんは、あっという間に酔って、シャツとパンツ一枚になった。
串は握ったまま、ジョッキは高く掲げたままで、大騒ぎだった。
そんな酔っ払いっぷりよりも、思いがけない筋肉質な身体に、目のやり場を探してしまったのは、一生本郷さんには言わないつもりだ。
「力石よ、まあ、あがっていけ」
「……本郷さんがそう言うなら……」
一応、この部屋にあがるのは初めてではない。
もう何度か本郷さんを送って、そのまま泊まった事もある。
その内、布団をもうひと組買おうと思いながら、まだそのままだ。
「帰る?」
「……そうだな……」
「なあ力石、むぴょこぴょこ、って、言いにくいよな」
酔った本郷さんの話をつなげるのは、結構難しい。
けれど、この難しいのが、たまらなく楽しい。
俺は、どんどん本郷さんが好きになっている。
「なんだよ、それ」
「かえるって言ったら、ぴょこぴょこ、だろ」
「ああ……早口言葉か」
満面の笑みを浮かべた本郷さんが、ゆっくりと口を開く。
「いいか? 早口と言っても、ゆっくり言ったら言えるんだよ。かえるひょっ……?」
「噛むなよ」
「か、噛んでない! ちゃんと言えたぞ。かえるかえるかえる! ほら、六匹だ」
「ハハハハ! 計算が違うだろ」
「あってるよ! かえるだから、いいんだよ」
笑ってしまったら、もうどうしようもない。
本郷さんのギャグのセンスが大好きだ。
「なんで笑うかな……ったく、力石は子供すぎる」
「……子供じゃないけど」
わかりやすく、両手を伸ばして、本郷さんを抱きしめた。
「おっ……今夜は……ぐるぐる回ってる、ぞ……」
「回転ベッドっぽくっていいんだろ? 前に言ってた」
「俺が? 俺……お……おお……」
抱きしめたら、後はもう、俺の時間だ。
と。
そのつもりだったけれど、もがく本郷さんが、あまりにも非力だったので、今夜は寝かせる事にした。
「本郷さん、起きたか?」
「ん……起きた……」
「吐きそう?」
「そこまでじゃない……けど、記憶は飛んでる」
本郷さんがぼんやりしてる間に、台所で水を入れてきた。
冷蔵庫の中にある水は、この間俺が飲んでいたメーカーのだ。
飲みきったと思っていたのに。
「本郷さん、この水って」
「あ。力石、それ飲んでるんだろ? コンビニ行った時に買ってきた」
「俺に?」
「水、飲むだろ?」
普通に言われてドキッとした。
ここは、俺の皿だけじゃなく、水まである家だった。
「本郷さん……」
「思い出した。かえるだ」
「ああ、俺も思い出した。どうしてかえるの話になったんだ?」
唸りながら本郷さんが水を飲んで、ゆっくりと息を吐く。
こういう状態を見守るのも、悪くない。
「力石が帰るって言って……かえるときたらぴょこぴょこじゃないか……」
「それで、むぴょこぴょこ……?」
「お。力石、上手いじゃないか」
本郷さんの想像力には、本気で感心してしまう。
子供っぽいといえば、あまり褒め言葉にならないけれど、俺には考えつかないような飛躍の仕方で、話ていると本当に楽しい。
こんなに楽しい人は、他にはいない。
「そのくらいは言える」
「俺、やっぱり舌噛むぜ? かえりゅ……っ!」
「……今夜は酔ってるから、やめといた方がいいよ」
「むむう……なあ、もしかして、帰っちゃう?」
時計を見た。
終電なんか、とっくに出てしまった時間だ。
「帰ってほしいんだ?」
「えっ! そんな訳、ない、だろ……」
「いるよ、本郷さん。朝まで一緒に寝よう」
深い意味は込めない。
楽しい思いをさせてもらったのだから、このまま離れたくはない。
「よし、寝よう寝よう。おやすみ!」
あっという間に布団に倒れ込み、本郷さんは眠ってしまった。
取り残されるというのは、こんなに笑える感覚だったのだろうか。
「……おやすみ、本郷さん。朝は、特別に起こしてあげるよ」
乱れた髪を撫でながら、本郷さんの頭の形を楽しむ。
普段帽子で隠れている分、見られる時はじっくりと見ておかないといけない。
「つむじ、どこだろ……」
俺にも眠気が戻ってきた。
眠る身体を抱きしめるようにして、少し窮屈な布団に潜り込んだ。