特別に甘い日!
だけどハレンチ度は低い……(想定外)
とうとうこの日がやって来た。
一年に一度、男なら誰でもそわそわする日。
甘ったるいチョコレートが世界中を支配する、恐ろしい一日。
バレンタインデー。
俺はもうすでにオジサンだし、ずっと一人でいて何の問題もないから平気だけど、力石は違う。
あれだけ違う女性を連れ歩いていた男だ。
虫歯が腫れ上がるくらい、チョコレートを貰うだろう。
「……力石よ……」
「何だい?」
朝の四時から眠れない俺と違って、いつもと全く変わらない動きの力石がいた。
こたつにもぐって、エロサイターを読んでいる。
モテモテの日にエロサイターなんざ、どうして読んでるんだって叫びたくなる。
「今日は忙しいんじゃないのか?」
「別に」
「そうなの?」
「いつも通りの日曜だぜ」
パラリとめくったページに、大きくチョコレートの広告が載っている。
「力石、それだ」
「え?」
「何か……ビンビン来ないか?」
「……ちっとも」
力石は、モテ男人生を驀進している割に、気が利かないところがある。
今日なんざ、美女たちは町中力石を探し回っているんじゃなかろうか。
「ああ! もしかして俺、誘拐犯?」
どこを探してもいない力石は、俺の家にいるのだ。
もうずっと。
「……ユカイ? ハハハ、本郷さんは愉快だよな」
こいつ。
粋で格好いい俺を愉快だと言った。
「いや、ほら……えっと……あ、そうだ。犬は庭駆け回るだろ? 魔狼もそうだと思うんだ」
銀色のツヤツヤした毛を持つ態度のでかい狼が、俺の頭の中を駆け回る。
力石は魔狼だ。
最近でこそ穏やかだけど、いつまた牙を剥いて戦いを挑んでくるかわからない。
「犬だってさ、最近は寒いからこたつの中で丸くなるって聞くぜ?」
「マジか! 猫も犬もじゃ、俺とかこたつから追い出されるんじゃないか?」
「飼う気ないだろ。本郷さんちにいるのは……あいつくらいだ」
力石が指さした先に、豪徳寺で買った招き猫がいる。
あやつはこたつには入らないだろう、多分。
「そいつはちょっと安心だぜ……」
力石は魔狼ではなく、犬だったのか。
俺といると、どんどんモテ要素がなくなっていくようだ。
「……もうちょっと後にしようかと思ったんだけど……」
「何だ? 出かけるのか?」
「もしかして、俺、邪魔してる?」
「へ?」
力石の眉が、五ミリも下がっている。
こんなにも悲しそうな顔をしたのは初めてだ。
「邪魔って……何が?」
「本郷さん、大事な用でもあるのか?」
「そんなのはない、けど……なんで?」
「俺を出て行かせようとしてる。ここに誰か呼ぶ予定?」
「バカ! そんなの、百年前からないってば!」
出て行かせるなんて、とんでもない誤解だ。
力石がいない日曜日なんて考えられない。
もうずっとここにいて、俺の目の前が力石の居場所だと、この部屋だって認識しているくらいなのに。
「お主を探して、さまよい歩く美女たちを思うと、胸が締め付けられるんだ」
「……そんなの、いないけど」
あっけに取られるほど、力石はあっさり言い切った。
「おお……余裕だな、おまえ。あれだけあちこちでご飯食べてた美女たちは、力石のためにチョコを用意したりするんじゃないのか?」
「義理チョコね」
「義理? なんだと?」
「今日は大事な人と過ごすから、チョコはいらないって言った」
俺の足元がガラガラと音を立てて崩れた。
「本郷さん?」
亀のようにうずくまって、今の力石の言葉を考える。
「……そいつは、乙女心を粗末にしすぎじゃないのか?」
「乙女なんていないけど」
「失礼だぞ、バチあたる……」
「じゃあ、大事な本郷さんには失礼じゃないのか?」
突き刺さるような一言に、思わず力石の顔を見上げた。
「俺は本郷さんが一番大事だから、本郷さんの事しか考えてないんだ」
「そ、それは……サンキュウ……」
力石が吹き出した。
「なんだよ」
「いや、いきなり英語で返されるとは、思ってもなかったから……不意打ちだ」
俺だって、英語くらいペラペラだ。
ちょっと行っただけのドイツ語を普通に喋る力石には、かなわないが。
ああ、力石は非常に勉強家だった。
俺だって、最高級の宇宙語くらいマスターしなくては、釣り合わない。
「もしかして本郷さん、チョコ欲しかった?」
「……いらん……けど、いらん事も、ぬ」
こたつから出た力石が、台所に消えて、何やらでかい包みを持って戻って来た。
「高級で少ないのと、いつでも食べられるけど絶対に買わない量のと。真面目に悩んで……」
驚くほど重い包みを渡されて、そっと開ける。
「両方にした」
「おまえなあ……」
俺が子供の頃から見慣れているチョコレートの山と、包装紙からオーラの漂う恐ろしげな小箱が現れた。
「俺の気持ち」
「……力石……お主、これを買って来たのか」
バレンタインデーは、女子が男にチョコを送る日だ。
それでなくても近寄りにくい売り場に、目の前のモテ男はどんな顔で突撃したのか。
「本郷さん、甘いのも好きだからな。嬉しい?」
「……し、い」
両手でチョコを鷲掴みにした。
男の俺の手でも掴みきれない量だ。
力石の気持ちが伝わる。
「嬉しい」
「よかった」
「嬉しいから、お主には一個もやらん」
「え、少しくらい分けてくれよ」
全部、俺一人で食べるのが、俺の答えだ。
「力石の分はな、来月のお返しを待ってろ」
「……今、キスひとつでもいいんだけど?」
目の前の口唇は、絶対に甘くて優しいに決まってる。
あえて、きつく目をつぶって、チョコを頬張った。