いつだったか、史上最大に気を抜いて酔っ払った姿を、力石に見られた夜がある。
忘れもしない。
お狐様をお参りした後、ゴキゲンで吸い込まれた最高の店での出来事だ。
あの時の俺は、狐にいたずらした訳でも、雑に何かをやらかした訳でもない。
それなのに、力石に何度も肩を叩かれて、ようやく気づいた時には、口に物をいっぱい詰め込んでいたのだ。
子供じゃあるまいし。
あんな情けない姿は二度と晒したくない。
「あっ……」
「どした?」
「い、いや、何でもないよ、うん」
あの時の心の傷は癒えた。
そう思った今夜、じっくりゆっくり飲むつもりで、再びこの店を訪れたのだ。
穏やかに飲み始めていたのに、不意打ちで、力石と遭遇した。
笑顔で相席をしたものの、思い出すのは前回の苦い記憶ばかりだった。
べろんべろんに酔っ払った、情けない俺の姿と、それを笑う力石の悪魔のような顔が、頭から離れない。
「本郷さん、今夜四合瓶とは、攻めるね」
「だってここ、こんな美味いのが安いんだよ」
「ああ」
そう言って笑う力石は、熱燗を二合、じっくりと楽しんでいる。
今夜の俺は、冷酒と決めたのだけれど、力石が飲んでいるとたまらなく美味そうに見えて困る。
もちろん、この場で、冷酒と熱燗を比べる愚かな俺ではない。
「力石よ、冷酒も飲んでみてくれ」
「ありがとう。こうやって飲み比べるのも悪くないな」
笑う力石に、隠された邪心がないのか探ってみる。
睨んで、睨んで、目があった。
今夜はどうも、悪魔ではないらしい。
「本郷さんも熱燗、飲む?」
「うぁっ、お、おお。いただくぜ」
力石は、実に爽やかでいい男だ。
飲み屋で顔を合わせるだけの付き合いで、ここまで長くなった相手は、今までいなかった。
この先も、ずっと変わらず俺の前にいるだろう姿は、簡単に想像がつく。
そのくらい、力石は、当たり前のような存在になっている。
食の宿敵ではあるのだけれど。
それはそれ、これはこれ、だ。
「本当に美味いな。本郷さんは、酒の選び方もいい」
「そうかい?」
さっそく俺の冷酒を片手に、牛煮込みを食べている。
俺が頼もうと思っていた一品だけど、そっと箸を伸ばしてしまう。
結局は、一緒に食べる事になるのだ。
力石に褒められると、美味さが倍になった気がする。
「そうだ。さっきの、何?」
「へ?」
「何か思い出したんだろ?」
言われるまで忘れていた。
「……ああ。狐のな、尻尾について、ちょっと……」
「すごく気になる話だな、それ」
「ほら、九尾の狐っているじゃん」
大した話じゃない。
力石に説明しても、鼻で笑われるような内容だ。
それなのに、俺はじっくりと説明している。
力石がきちんと聞いてくれるからだ。
「あれって、尻尾が九本もあって、重くないのかなって……よく見る絵とか像だと、尻尾、バランスよく立ってるじゃないか。ああいうの、どんな加減で力入ってるのかなとか、な」
「……なるほど……」
力石が真面目な顔になった。
軽く目を閉じて、唸っている。
「いや、だからそんな、大して考える内容じゃなくて……重いんだったら、一本くらい分けてくれてもいいんじゃないかって」
「……本郷さん、狐の尻尾が欲しいのか?」
「だって、冬は暖かそうだろ。首にこう、くるっと巻いてさ……」
俺は何を言っているんだろう。
酔いのせいもあって、変な方向に話が流れてしまった。
思いついた時も、思い出した時も、そんなに深くは考えてなかったのに。
「本郷さんは、寒いのが苦手なんだな」
「……へ?」
目を開いた力石が、まっすぐに俺を見ている。
この目に、俺は弱い。
「俺、寒いのは結構平気だから、狐の尻尾が暖かいなんて、考えた事もなかった」
「いやっ、俺もそこまでは……」
徳利が向けられる。
「熱燗、どうぞ」
「あ、ありがと……」
「これで暖かくなったらいい」
正直、寒いのが苦手な訳ではない。
今の、力石の優しさが、ものすごく嬉しかった。
「そうだよな。たとえ重くても、狐の尻尾は狐の物だ。俺がもらうなんざ、とんでもない話だよな」
「……ハハハ! あ、すいません」
いきなり力石が笑い出した。
謝ったのは、店の人や周りに対してだ。
「本郷さん、まいったよ」
「何がだ」
「ほんと、優しすぎる」
「俺?」
熱燗は、俺が最後を飲み切った。
力石の表面張力の技が冴え渡る。
「この最後の一滴。美味いよな」
「……俺が飲んですまん」
「本郷さんだからいいよ。俺、その冷酒もらうから」
「おお……」
力石が、冷酒を注いでいる。
意味もなく、その手と、コップをじっと見つめてしまった。
前回は、心の底から力石に笑われた事を悔やんだけれど、今夜はそこまで落ち込む事はなかった。