何気なく食べたいと独り言を呟いたら、ぶわっと妄想広がりました(単純)
本郷さんも力石も、卵好きだもんね!と勝手に思い込んでます。
どう考えても卵焼きだろうという日がある。
だし巻き卵ではなく、普通の卵焼き。
しょっぱいのもいいけれど、甘いのがひと切れ食べたい。
いや、ふた切れ…。
とにかく、卵焼きは男の心をくすぐる。
朝からずっと卵焼きの事を考えていたから、今夜は卵焼きが一番美味しいと評判の店に決めていた。
勿論酒にだって合わせるけれど、最初のひと口は、甘いところを食べてみたい。
よだれが出そうだ。
「……さん」
「ぬ?」
声がしたような気がして振り返った。
俺の背後に声の主はいない。
聞き間違いだったか。
「本郷さんよ」
「へっ?」
そいつは唐突に、俺の隣から現れた。
フードを深く被ったグレーの男。
漂うオーラは、魔狼としか表現出来ない。
力石だ。
「お、おお……元気か?」
「元気だよって、昨日の晩会っただろ」
「あっ、ああ、そうね……ハハハ、そうだった」
「いつもながら、おかしな本郷さんだ」
潔くフードを外して、俺に魔狼の顔を見せてくれる。
いや、今目の前にいる男は、もう魔狼ではなかった。
珍しく柔らかい表情の力石だ。
「どうした、今夜は」
「ん? 何か不思議な夢を見てな」
「夢! おまえ、夢なんか見るの?」
「普通に……」
ここ数年で一番驚いたかもしれない。
俺に見せつけるかのような、最強の陣立を見せる力石が、普通の人間みたいに夢を見ると言うのだ。
「本郷さんは見ないのか?」
「俺? 見るよ、すごい奴。真鯉、緋鯉、すごい……」
「……何、それ?」
流れるように口から出てしまった。
俺は時々、ダジャレを言ってしまう。
オジサンの最たる癖だと、気をつけているのに。
力石が、俺に気を抜かせた。
「いや……ちょっと、ダジャレを……」
「……なるほど」
肩で笑われた。
俺の勢いがしぼんでしまう。
「……で、力石が見るのはどんな夢?」
「あ、卵焼き食べる夢」
「なんだよそれ、俺とあんまり変わらないじゃないか! 俺だって見るよ。松茸だったり、ステーキだったり……」
力石が笑う。
「そいつは奇遇だな。まあ、それで、今夜は卵焼きを食べようかなと」
「……俺も、夢は見てないけど、何故か今夜は卵焼きだった……」
しまった。
俺は、でなく、俺も、と言ってしまった。
力石の真似っ子だ。
食べたい卵焼きに出会う前に、敗北の気分だ。
「ご一緒する?」
「ん……そうだな」
元気のある昼間なら、別々で、と断ったと思う。
けれど、力石も夢を見るという、各国のスパイがやりとりしそうな最高機密に近い情報を教えてもらったのだ。
それだけで一緒に食べてもいいと思える。
考えている間に、力石は先を歩いていた。
俺よりも先だ。
「ちょっと……」
半歩、店に入るのが遅れた。
「これ! こいつだよ……」
目の前に、理想的な卵焼きがあった。
甘い匂いが漂っている。
鼻から大きく息を吸って、匂いを力石に取られないようにした。
「じゃ、お先に」
「ぬおっ!」
実にスマートに、力石の箸が伸びてきた。
俺が目で睨んでいた一番端の大きなひとつを食べた。
「美味い。本郷さんも食べなよ」
「お……乾杯を忘れてる、ぜ」
「ああ、すまん。食べたくてつい」
美的な泡立ちは、俺の方が勝ち、なビールで乾杯する。
カチンという、コップの当たる音が、勝負の始まりなのだ。
意外と力石は、先走りしやすいのかもしれない。
「若いな……」
「ん? 卵焼きが?」
「あ、いや、そうじゃなくて! これ、確かにすごく美味い」
「だよな」
力石はもう二個目だ。
負けてはいられない。
箸を伸ばした時、力石が店の人に声をかけた。
「すいません、ポテトサラダと、煮込み……それから……」
流れるような注文だ。
俺は、目の前の卵焼きと、力石の箸しか見ていなかった。
「本郷さん、何がいい?」
「オ、オムレツ!」
「卵かぶるけど……美味いからいいか。すいません、オムレツも」
大失敗だ。
俺の陣立が崩れて行く。
「今夜も一緒に食べられてよかったよ」
力石の爽やかな笑顔が、眩しすぎる。
俺に勝って嬉しいのかもしれない。
「そ、だね」
「オムレツも美味い」
力石に慰められたくない。
けれど、美味いのひと言は、ものすごく嬉しい。
「また、来ようぜ」
「喜んで」
何度繰り返してもいい音を立てるコップで、今夜はまだ二回目の乾杯をした。