店を出て、何気なくタバコをくわえた。
後から出てきた力石が、何か言いたそうに俺を見ている。
言わずとも、俺にはそれがわかっている。
そっとタバコを持ち直して、力石を見た。
「力石よ、吸いたいんだろ」
「……そうだな、一本くれる?」
「おっ」
今まで、何度となく勧めては、断られてきた。
もうやめたからという理由で。
それが今夜は、妙に素直だ。
こんなにも美味いタバコをやめるなんて、本当にバカバカしい。
確かに俺だって、四六時中吸い続けている訳ではないけれど、一度吸い始めたのなら、そのまま一生吸うつもりでいればいいのに。
やはり、大人の男にこそ、タバコは似合う。
力石ではまだ役不足なのだ。
タバコも人を選ぶのかと思うと、口元がほころんでくる。
「本郷さん?」
「あ、どうぞどうぞ。いくらでも吸ってくれ」
ポケットをさぐって、箱を取り出した。
さっき開けたばかりの新品だ。
俺が一本抜いただけだから、重みすら感じる。
「それじゃなくて、そっち」
「へ?」
「味見だから、本郷さんの、それ、くれよ」
「これ?」
俺の手にしている一本。
力石は、ここまでタバコに接近しておいて、まだ抵抗しているのだ。
禁煙と喫煙の間。
格好いい大人の男に近づくべきか、若さゆえの暴走のままでいるのか。
冷静に見えて、力石の中でも葛藤が生まれているらしい。
妙に可愛いと思ってしまった。
「ダメ?」
「いいよ……っと」
「ん?」
自然に笑ってしまう俺につられたのか、やはり笑う力石が、手を伸ばしてくる。
「ちょっと待てよ、火をつけるから……」
「ああ、すまん」
俺が吸うタバコじゃないのに、火をつけるなんておかしな話だ。
けれど、力石は楽しそうに俺を見ている。
何か、パフォーマンスでもするべきだろうか。
舌で結ぶ……のは、サクランボの枝。
俺には出来ない。
おもむろに、箱から全部取り出して、口いっぱいにくわえてみる、のも、意味がない。
「俺はバカか……」
「本郷さん?」
「あ、いや、悪い悪い」
くわえ直して、バカな事を考えないように、努めて冷静に火をつける。
さっとふかして、力石に渡した。
「ありがと」
普通に指先が触れる。
さっきまで箸を持っていた手が、タバコに変わった。
俺は、ものすごくじっくりと、力石の手を見ている。
「火傷、するなよ?」
「大丈夫。本郷さんこそ」
そのまま、タバコは力石の口元に届いた。
口唇が、そっとくわえる。
軽く閉じた目が、タバコを味わっているのが分かる。
美味そうに。
ゆっくりと吸い込まれた煙は、しばらくして、細く吐き出された。
俺が煙だったら、さぞかし気持ちよく天に昇って行っただろう。
「やっぱ、いいな。すごくうまい」
「……そ、そうだろ? タバコはいいだろ?」
その仕草を、俺は真剣に見つめていた。
口元、目元、味わう指先まで、力石は、あまりにも格好よすぎる。
「本郷さん、これ、何?」
「何って?」
「箱、見せてもらっていい?」
「おお……」
ポケットから出す手が震えてしまった。
今の力石は、見惚れるくらい格好よかった。
認めたくないけれど。
「本郷さんって、ずっとこれ?」
「そうだな。時々浮気しちゃったけど、帰るところは、こいつかな……」
初めてタバコを吸ったのは、背伸びしたくてたまらなかった学生時代だ。
死ぬほど咳き込んで、二度と吸うまいと決めたものの、その時好きだった女優が、タバコを吸う男が好みだと言っていたから、無理に頑張ったのだ。
気がついたら、その女優は好きでもなんでもなくなっていたけれど、タバコは手放せなくなっていた。
青春の、懐かしい思い出だ。
「じゃあ、俺も、これにしようかな……」
「え? おまえは禁煙に成功したんだろ?」
「たまにな、ふと吸いたくなった時は、いいかなって……」
「今まで自分が吸ってたヤツはどうなんだ? 裏切るのか?」
力石が吹き出した。
「裏切るも何も、本郷さんみたいにこれって決めて吸ってたわけじゃないし、禁煙、長いからね。吸い始めたばかりと変わらないよ」
「……へえ、吸い始めたばかり、ねえ……」
もしかして、力石に差をつける絶好のチャンスが訪れたのかもしれない。
「そうかそうか。その初めては大事にしろ」
「本郷さんのと同じのにしてたら、吸いたくなった時、今みたいにもらえるのも悪くない」
今の一言は、ひっかかった。
「……おまえな、それって、俺にタバコをせびるって話か……」
「そうじゃなくて……ああ、間接キスになるから嫌って?」
「かっ……」
一瞬で、耳が熱くなるのがわかった。
間接キスなんて、久しく聞いたことのない単語だ。
キスという行為に関して、俺は普通にこなしてきた。
長い人生で多分、なんの問題もなかったと思う。
ただ、力石が相手だと別だ。
「冗談だけどな。間接キスなんて、キスの仲間に入れてもいいのかなあ」
「バッ、バカ! なんて事を言いやがる!」
まっすぐに話す力石に対して、どう答えていいのかわからなくなってくる。
「間接キスってのはな、関節……そう、関節固めの仲間でさ……」
俺は今、何を言い出そうとしているんだろう。
話の途中に煙を吸い込んでいた力石が笑う。
俺ならきっと、変な吸い方をして、咳き込んでいただろう。
こういう時も、力石は格好いい。
クソ。
「……本郷さん、そういうのが好みなんだ?」
「な、何が? 好みって何?」
「キスする時に、関節固めるんだろ?」
気を失うかと思った。
力石の直球な物言いは、俺の胸に深く突き刺さる。
もうこの時点で、死んだ。
「それはおいといて、本郷さんは、プロレスの話もいけるんだな」
「……プロレ、ス……あ、そうか、そうだな……」
ひとまずおいておかれた話に、何を焦る必要があるんだろう。
ごく普通の会話なのだ。
力石の前だと、俺は途端に自信がなくなる。
「本郷さん。タバコ、ありがとう」
「おお。また、いつでも言ってくれ。そのうち、禁煙なんてのが、無駄だったって、俺が教えてやる」
力石の吐き出した煙が、異様な揺れ方をして、ご機嫌な笑いを伝えてくれた。