さすがに、昼間から本郷さんに出会うと驚く。
近づいて、嬉しくなってきた。
「本郷さん」
「な、なんで、ここで……」
ごく普通の大衆食堂の入り口で、足を踏み出そうとしていた本郷さんが固まる。
「それは俺も聞きたい。本郷さんこそ、どうしてここに?」
「う……俺のカンが働いたというか……ここ、美味そうで……」
いつも不思議なくらい、同じことを考えている。
俺もそうだった。
「せっかくだから、一緒に食べる?」
本郷さんに届くくらいの声で、そっと問いかけたものの、返事は待たずに、店の中に入った。
なんとなく、気恥ずかしい。
「お、ちょっと待て」
一呼吸もおかずに、本郷さんも飛び込んできた。
なぜか、手で帽子を抑えている。
どんな勢いをつけたんだろう。
ぐるりと店内を見回して、俺の頼む物は決まっていた。
「本郷さん、何食べるんだ?」
「そうだなあ……ひとまずビールと……」
「昼間っからの酒は美味いよな」
「力石もそう思うだろ? ビール飲まないってのは、人生を棒に振ってるようなもんだぜ」
顔を見合わせて笑う。
今日も本郷さんは、すごくご機嫌だ。
「それにしても、本郷さん、こんなところまで足を延ばすんだな」
「……おまえもだろ」
なんでもない話をしながら、ビールを飲み交わし、料理を食べる。
本郷さんの食べている揚げたてコロッケは、実に美味しそうだ。
「俺、昨日、整体に行ってきたんだけど」
「え? 本郷さん、そういうところに行くんだ」
「力石は行かないのか?」
心底、驚いたような声で、本郷さんが俺を凝視する。
「整体って、そんなに行くところ?」
「行くよ。普通に。俺、整体がないと生きていけない」
「大げさな……」
「いや、俺の通ってる先生、すごく腕がいいんだ。ちょっと触られただけで、身体が軽くなってな」
「……美人だったりする?」
「ヒゲの先生」
「……ヒゲ……」
なんとなく、本郷さんが選ぶのは、美人で巨乳が最優先だと思っていた。
腕で選んでいたとは。
本当に身体が痛むのか。
「そうか。まだ若い力石には、分からないだろうな。年取ると、マジでよさがわかるぞ」
「俺、人に触られるの、好きじゃないけど」
普通に触れられる状況を思い返しても、そこまで身体を預けられる相手に出会った気はしない。
俺も、最小限の接触しか考えない。
本郷さんは違うのかと思うと、なんだか箸の進みが遅くなった。
「コドモ、コドモ。秋刀魚の腹の苦さが分からないに通じるお子様感覚だ」
「……それはわかるよ」
不自然なくらい、子供扱いされた気がする。
こうやって飲んでいる時、俺は本郷さんとの年齢差を感じたことがない。
ともすれば、本郷さんの方がずっと年下に思えることもあるぐらいだ。
ジロリと睨んで、ビールを飲み干した。
「そうだ。力石、電気屋に行かないか?」
「え? 今?」
「最近のマッサージ機は、本当に気持ちよくてな。極楽を味わえるぞ」
やや酔っ払いかけている本郷さんの話を総合すると、大型の家電量販店には、マッサージ機のコーナーがあって、適度に試すことが出来るらしい。
「俺、そういうのって、立ち寄ったこともないな」
「……残念な奴だな。よし、腹もおきたし、電気屋を攻めに行こうか」
「え? 俺もいいの?」
「行かないのか?」
ご機嫌な本郷さんは、いい方向に強引だ。
店を出た後、一緒にどこかに行くなんて、今まであっただろうか。
ちょうど俺にも時間はある。
気持ちよく、付き合うことにした。
歩きながらは当然として、電車の中でも、本郷さんのウンチクが始まる。
整体は、ヒゲの先生がいいのは、美人の先生だと、逆に身体に力が入って、行った気がしないかららしい。
「それは意識しすぎじゃないの?」
「だって、そんな若い女性に恐ろしい力込められたら、意識するも何もだぜ」
「ふうん……」
つり革を握る手は、引きちぎるんじゃないかと思うくらい、力がこもる。
ビールくらいで酔っ払う人ではないのに、昼飲みの威力は恐ろしい。
どれだけ座る事をすすめても、首を縦に振ってくれない。
「本郷さん、大丈夫か?」
「お? バッチリよ」
心なしか、周りから人が離れているような気がする。
まだ混み合う時間じゃない。
そう思っておこう。
「新しい電気製品って、ワクワクするよな?」
「へえ……」
電車が着いて、一瞬改札で本郷さんが引っかかりそうになったけど、それ以外は何事もなく、電気屋を目指す。
異様にでかい店舗の前で、見上げた本郷さんは踊り出しそうな足取りだった。
俺は、そんな本郷さんを見ている方が、ワクワクしてくる。
一緒に吸い込まれて、そのままエスカレーターで並ぶ。
いや、一歩俺が下がった。
並んで、本郷さんの肩に触れてしまうと、ぐっと距離が縮まりそうな気がする。
俺も軽く酒は飲んでいるのだ。
こんなところで手でもつないでしまったら、言い訳のしようがなくなる。
「パソコン買って以来かなあ……」
「へえ? 俺は時々来るよ。楽しいもん」
意外な本郷さんの行動範囲だ。
でも、日中の謎が、より深まっていく。
エスカレーターの速度は悪くない。
歩くのとは違う時間が流れる。
ゆっくりと、上に。
もしかして本郷さんとなら、東京タワーなんかに行くのも楽しいかもしれない。
あのあたりは、最近いい店が増えてきている。
一度誘ってみよう。
そんな事を考えていた時だった。
「……本郷さん?」
ふと目の前から、いなり寿司色のかたまりが消えていた。
目を離したつもりは全くなかった。
「本郷さん?」
思わず振り返ったけれど、俺は本郷さんの背中を見ていたのだ。後ろにいたら驚く。
辺りを見回してみても、それらしい姿はどこにもない。
「……まさか、誘拐……?」
昼間の、こんな大きな店内で、やや酔っているとはいえ、トレンチコートのおじさんを誘拐する人間がいるとは、どうしても思えない。
犯人が俺なら別だけど。
いや、一緒にいるのは楽しいけれど、本郷さんを誘拐する理由なんて、今のところは全くない。
「まさか……迷、子?」
言葉にして、バカバカしくなってきた。
なんとなく、本郷さんは迷子にはならないような気がしていた。
あれだけ、色んな店を見つけるのだ。
迷う間に、店の一軒でも見つけては、楽しそうに飲んでいるだろう。
そこが不思議と頼もしい。
気持ちを落ち着けて、ひとつ前のフロアに戻った。
そこがちょうど、本郷さんの行きたがっていたマッサージ機の売り場だったからだ。
ここにいなければ、下の階。
ゆっくり降りて、探すのも楽しそうだ。
と、案内板を見ながら、通路を進んでいて、息が止まった。
いくつも並んでいるマッサージ機。
本郷さんが言っていた、お試しが出来るスペース。
その、一番豪華な椅子に溶けたいなり寿司色が伸びていた。
丁寧に、外した帽子は腹のあたりで抱えている。
「本郷さん……」
「おお」
閉じた目だけで、どれだけ本郷さんが幸せなのかが伝わる。
口元が少しだけ緩んで、俺に答えようとしているけれど、マッサージ機の振動には勝てないようだ。
俺は、ここまで気持ちよさそうな顔を見たことがない。
じっと、吸い込まれるように見つめてしまった。
「……りきーしも、どーだ?」
「俺?」
本郷さんに声をかけられなければ、一生見ていたかもしれない。
見ていた時間は一瞬だけど、恐ろしく濃い時間だった。
「いいぞぉ……」
「本郷さん、そのまま寝るなよ」
軽く、手を動かして確認する。
ようやく動けるみたいだ。
自分の身体が岩のように固まっていた理由を考えて、なるほど、マッサージ機は必要なのかもしれないと思った。
人に触れられるのは無理かもしれないけれど、機械なら大丈夫だろうか。
「……俺、もうここに住んでもいい」
「バカ」
本郷さんに近付いて、抱えていた帽子を奪ってやった。
「あっ! 力石、それ……」
「預かってる」
「腹が冷えるよ」
ようやく本郷さんが俺を見た。
思わず、その頭を叩いていた。