もうすっかり秋です、というか、季節感はなく、微妙に寒いです。
ビールよりも熱燗……でもやっぱりビール。
そんな感じの、いつもの話。そして、力石格好いい祭(脳内で勝手に開催中)
「生中ひとつ、お願いします」
店に入って、一番の幸せは、何よりもビールを注文するところから始まる。
あの繊細にして、甘さのかけらもない泡立ち。
丁寧な店のビールは、泡の味も違うのだ。
「はい、生中」
「どうも」
ジョッキに注がれた俺の幸せ。
ぐっと掴んで、一気に飲めるところまで飲む。
「ああ! もう、本気でビールに人生捧げてもいい!」
「……ほんと、幸せそうに飲むね」
「へっ」
いつの間に。
カウンターの角席を確保していた俺の隣に、力石が座っている。
後から来た力石は、今のところ、ここしか座るところがない。
何かの陰謀だ。
「お、おまえ、いつ来た?」
「今さっき。本郷さんに、声かけただろ?」
「……そう、だっけ?」
力石の前にも生中が置かれる。
「あ、しまった」
「ん?」
「いや、別に……」
ビール飲みたさに、肴が後回しになっていた。
こういう失態、力石は絶対にしない。
「本郷さん、注文まだ? だったらここのメンチカツ、ビールにあうぜ」
「そ、そう?」
俺がうっかりしたばっかりに、またしても力石に先輩ヅラされてしまった。
メンチカツにビールは、心の底から好きだけど、真似はしたく、ない。
悩んで、全然違う方向の料理を選んだ。
「そうくるか……」
嫌味にも聞こえる力石の呟きを流し、残りのビールを一気に飲んだ。
うまい。うますぎる。
ガマン出来ずに、おかわりだ。
「ときに本郷さん、今夜はビールだけ?」
「そうだなあ……日本酒もいいんだけど、涼しくなってきたからな。飲めるうちにガンガンビールを飲んでおきたい」
多分、力石よりは、ビール歴の長い俺だ。
いや待て。ビール歴だけじゃなく、酒歴も、飲み屋で飲んだくれ歴も、断然俺の方が長いはずだ。
力石が、俺より年上じゃなければ、の話だけど。
ビールは男の人生を豊かにする。
どれだけ疲れても、この一杯を飲み干すだけで、明日も頑張れるという気になるのだ。
まだ若い力石には、そこまでわからないのかもしれない。
そう思うと、より元気が出てくる。
「なるほど」
意味深な力石の頷きに、思わずその顔を覗き込んでしまった。
「……何か、あった?」
「いや。そこに、新しく入った純米大吟醸が、すごくうまそうだからね。どうかと思って」
「え……」
全然、気が、つかなかっ、た。
いつもの俺なら、絶対に気がつく。
大好きな日本酒。
「すいません、あの日本酒と……」
聞きたくない。
力石の、完璧に近い注文など、聞きたくない。
俺には、この繊細な泡立ちが待っているではないか。
「……泡といえば……ソー……プ……」
「下ネタ?」
「へっ?」
「違ったらごめん」
思いがけない力石のツッコミに、俺の心臓が跳ねた。
下ネタ?
この俺が、そんなことを言うとでも思ったんだろうか。
「ソープって……別に、いやらしい意味じゃなくて……単に、泡のアワで、英語っていうか」
何が言いたいんだ、俺。
力石は、我関せずのクールな顔で、日本酒に切り替えている。
最初の料理の組み立てから、ビールは一杯だけだと読み取れた。
ビールを浴びるように楽しんでいる俺に対する、嫌味だ。
「なあ力石、ビールの泡って、子供の頃は、甘いんじゃないかって思わなかった?」
「え?」
「ほら、アイスクリームっぽく見えてな。もう昔の話だけど、そっと舐めた時、あまりの苦さに吐き出したことあって。ずっとビールが怖かったんだ」
「本郷さんが? へえ……」
俺は、なんで昔の失敗を、力石に話しているんだろう。
「俺もやったことある」
「ほんと? すごい、シンクロだ」
意外にも、力石がこんな話にのってくれた。
「あの時の泡は、今と違って、もっと荒い感じだったな。固いというか」
「それ、フローズンじゃなくて?」
「違うよ。普通のビールだ。たまに、懐かしくなる」
「ふうん」
俺は、ずっと怖くて、力石は、懐かしくなるという、ビールの感想。
この差はなんだ。
「……こんな話してると、ビール飲みたくなってくるよ」
「そうだろ、そうだろ」
「次の機会に、ね。今夜は、もう、この酒が美味しくてさ……ほんと、どう?」
飲み干したお猪口を差し出されて、もうちょっとで受け取るところだった。
「それこそ、次の機会に。多分、近いうちに会う、だろ」
「……そうだな」
穏やかに力石が笑う。
こいつは、本当にいい奴なんだろう。
俺の食の宿敵でさえなければ。
俺が勝手に開催していたビール祭は、ジョッキ三杯で終了した。
腹いっぱいで、どうしようかと思っている間に、力石はさっさと引き上げた。
この店のビールはうますぎるからいい。
明日も飲んでもいいくらい、いい。
「……そうだ、次は、力石に会う前に、メンチカツだな」
心の中で誓って、ポケットから財布を取り出した。