超短い小話……今回はとりあえずドラマ版の二人ですが、全く変わりはないです。
お互い、名前までは知らなかったよね……? で、察してください。
(今まで書いた話で一番恥ずかしいかも)
金木犀は、急に匂いが立ち込める。
木だけの時は地味なのに、花が咲くと一気に秋の気配を感じさせる。
色合いも、秋っぽくていい。
店に来るまでの、あちこちで見つけてしまった。
「本郷さん、もう酔った?」
「バカな。まだ徳利二本目だ」
「そう? ずいぶんゴキゲンだから」
今夜は熱燗。
昼間、あれだけ金木犀の匂いを意識すると、身体の中から酒が欲しくなってくる。
甘い日本酒も悪くないけれど、俺はやっぱり、辛口がいい。
鼻からも、喉からも、日本酒を堪能できる熱燗は、最高だ。
「そりゃね。そろそろ秋も本番だし、実にいいよ。この時期は酒が恋しい」
「いきなり、何?」
「金木犀がものすごく香る季節が来たからさ」
不意に、力石が黙り込んだ。
「どうした?」
「別に。ただ……」
「何、何よ」
強引に、徳利を差し向ける。
力石のお猪口で、表面張力の素晴らしさを教えてやる。
ぎりぎりの感覚がわかる今夜の俺は、まだ全然酔っていない。
「本郷さん。金木犀は、匂う、じゃないのか?」
「匂う?」
「今、花が香るって言っただろ」
何か、言葉を間違っただろうか。
「花は、香るで結構じゃないか」
「……そう?」
「匂ってもいいけど、香るの方が響きがいい」
「響きか……」
力石は、なみなみと注がれたお猪口の酒を飲むのが上手い。
悔しいぐらい、こぼしたことがない。
今夜こそ、あっと声をあげる力石の顔が見たかったのに。
「力石、美味いか?」
「ああ、とても」
飲み干して、にこりと笑った。
実に美味そうに飲む。
「本郷さんも、どうぞ」
「あ、ども」
力石からの、表面張力のお返し……
「おお! 力石よ!」
「あっ、ごめん」
「おいおい、もったいない」
ほんの少しだけど、俺の手に流れた。
慌てて指を舐める。
「大丈夫? 本郷さん。悪かった」
「平気だけど、珍しいな、こんな失敗」
「たまには、な」
お互い、お猪口に注ぐ対決は、もしかしなくても、俺の勝ちだ。
この勢いで、食に関しても、力石に圧勝したい。
今夜こそ、だ。
「もしかして、力石、もう酔ってるんじゃ……」
「……そうかもな」
「マジで? 力石、マジで酔った?」
「そんなわけないだろ」
笑う目は、本気だ。
口調も、全然乱れてない。
さっきの、注ぐ手だけが、いつもと違った。
ほんの少しだけ。
「あ、わかった」
「何?」
「おまえ、金木犀の匂いが好きじゃないんだ」
「ええっ?」
誰だって、好き嫌いはある。
特に金木犀は、昔からのトイレの芳香剤の印象が強い。
小さくて可愛い、オレンジ色の花なのに、トイレだなんて、気の毒すぎる。
「……あ、まてよ。トイレに行きたくなったとか?」
鼻で笑われた。
「本郷さん、今夜の酒、俺がおごるよ」
「……なんで? いきなり、どうした?」
「そういう気分になったから」
お猪口に注ぐ失敗をしたからって、俺におごっても帳消しにはならない。
それに俺は、食の宿敵におごられる義理はない。
「トイレに、ついてきて欲しいから……とかじゃ、ないよな? もちろん」
「……あそこにある、一番いい酒が飲みたくなったから、って理由はダメ?」
「む、むむ……」
そう言われると、俺も弱い。
喉から手が出るほど飲みたい、大吟醸。
ちらりと力石の顔を見ると、もう、断りきれない顔で笑っている。
「わかった、いや、よくわからないけど、俺も飲みたい」
俺が言ったと同時に、力石は注文した。
いつにも増して、見事な流れだ。
「……なあ、そんなにあの酒、飲みたかった?」
「まあね」
待ちかねた酒がやってきて、再び乾杯した。
冷酒も、いい。最高にいい。
胃袋の底から、大喜びだ。
「本郷さん、まだしばらく、金木犀って咲いてるかな」
「おお。あれぐらい、強烈に香る花もないからな。どこにいてもわかる」
また、力石が笑った。
今夜のこいつは、何がそんなにおかしいんだろう。
力石の笑顔を肴に、今夜はこのまま飲むことにする。