梅雨っぽい話を、と思っていたら、時期外しそうになったので、ひとまず小ネタで。
(本郷さんが格好よくないのは、もう、本郷さんのヘタレな可愛さゆえに。力石もわかってるはず)色々と、大丈夫。
予想通り、夜も更けてから、雨が降り始めた。
足早に店の前にたどり着いた俺は、ようやくひと息つく。
コートの雫をはらい、手にした帽子の雨を落として、店に入る。
「……しまっ、た」
「あれ、雨?」
カウンターの隅に、力石がいた。
「お、おお……この店、来てた、のか……」
「何か?」
「いや、ちっとも……いい感じだな」
離れて座ろうと思ったのに、吸い寄せられてしまう。
初めて来た店なので、力石の選んでいる皿が気になってしまった。
見てないふりをしながら、眺めてやる。
魚の煮付けを中心に、並ぶ料理が輝いて見えた。
いつものことながら、実に、腹の立つ選択だ。
「本郷さん、今日のオススメ。煮付けは、最高にうまいぜ」
「あ、そう……」
力石は、すでにそれらで冷酒を楽しんでいる。
クソ。俺よりも先に。
本当にクソなのは、そんなことに嫉妬する俺、だけど。
「雨って、すごい?」
「まだそこまでじゃないよ」
「本郷さん、けっこう濡れてない?」
「そうか?」
力石の視線が、俺の頭で止まった。
「どうかした?」
「ああ。帽子かぶってない本郷さん、久しぶりに見た気がするなと思って」
「ん……」
なるほど。
帽子は少し濡れたから、手に持ったままだった。
待てよ。
はっと気がついた。
もしかして、俺の髪が薄いとか、そんなことが言いたかったんだろうか。
冗談じゃない。
思わず手ぐしで髪を整えてみた。
量も質も、問題はない。
今のところ、少しの不安も感じたことはないけれど、力石から見たらどうだか分からない。
そういえば、こいつはいつも、パーカーのフードを下ろしてから席に着く。
若さと自信の見せつけ、か。
なんという嫌味な男だ。
「大丈夫、大丈夫」
さりげなく帽子をかぶり直した。
これ以上、力石の興味を満たしてやる義理はない。
「さて、と。何にしようかな……」
初めての店に入って、メニューを選ぶ。
一番楽しい瞬間だ。
「俺も付き合うよ」
当たり前のように、力石がいる。
最近、本当によく、一緒に飲む機会が増えた。
このままでは、永遠に勝てない気がする。
「……その感じじゃ、そろそろ腹いっぱいじゃないのか?」
「まだ半分くらいかな。ここ美味しいから、いくらでも入るんだ」
「そうかい」
いつもならビールで喉を潤すけれど、今夜は力石に追いつかなければ。
早速冷酒を注文する。
追いついて、力石には、俺の真似をさせてやる。
「……本郷さん、おい、本郷さん」
「お、おお……」
「酔っぱらったのか? 大丈夫?」
「へ?」
肩を叩かれていた。
はっと気がつくと、知らぬ間に俺は、カウンターに肘をついている。
まぶたが、微妙に重い。
「……あれ? 俺、今、何してた?」
「怪獣がどうのって、言い出した」
「おっ……」
気をきかせてくれた店の人が、水をいれてくれた。
危ない。
醜態をさらして、来られなくなる店ができるところだった。
「悪かったな」
「全然平気。面白いし」
力石は、俺を心配したんだろうか。
すでに離れているけれど、その手は俺の肩に触れていた。
大失態だ。
「……俺って、他に何か、言った?」
んー、と、力石が言葉を選ぶ。
選ばなければならないようなことを、俺は言ってしまったのかと、緊張した。
「しきりにこの煮付け、褒めてたよ。ね?」
店の人に声をかけ、向こうからも笑顔で返される。
「ありがとうございます」
「あ……いえ、ああ……」
「本郷さん、魚好きだよな」
「魚、ね。いいよ、うん」
肉の方が好き、とか。
普段なら、もっと言葉をはさめるところを、バツの悪さに、頷くしかない。
そっと見上げた時計は、まだ店に入ってから一時間もたってなかった。
まさか、こんな短時間で。
しかもたった二合くらいで、記憶が飛ぶほど酔ってしまうとは。
ああ、もうどうしようもない。
さっき力石から隠した髪の毛を、全部掻きむしってやりたい。
そのくらい、恥ずかしい。
力石は、俺が来る前からゆっくり、じっくり飲んでいた。
奴のことだ。
きちんとペース配分を考えていただろう。
俺は、そこに突入すべく、一気に飲みだした。
これが敗因だ。
わかっていたのに、繰り返してしまう。
「雨が降ると、空気って変わるよな」
「ん?」
「酒の味も変わる気がしない? より、しみるというか、酔いが広がるというか……」
酒の残るコップを手にした力石が、しみじみと言い出した。
それは、俺も思っていた。
うまいとか、まずいとかではない。
雨の湿気を含む感じが、酔いを誘う、のだ。
そうか。俺が酔ったのは、雨のせいだ。
力石は、そういう風に、俺の酔いを流してくれたのか。
「……いい奴だな、力石」
「ど、どうした、本郷さん。まだ酔ってるのか?」
「まあ、そういうことにしておいてやるよ」
「……大丈夫かなあ……」
「大丈夫。俺はまだまだ平気、だ!」
思い切り手を伸ばして、力石の肩を叩いた。
「あっ!」
「あ!」
力石が手にしていたコップが、床にすべり落ちた。
きれいに割れる音が響く。
思わず、顔を見合わせた。
俺は、どれだけ情けない顔をしていただろう。
こんなにも重なる夜は、二度とないと信じたい。