今時、これは通用するのか……?
たまにはボケボケの力石もアリってことで(勿論、それでも格好いいのが力石!)
結局は、楽しく飲んでるいつもの感じ……で、熱燗飲みたい。
「そうだ。本郷さん、ちょっと聞きたい事があるんだけど」
「……俺に?」
唐突に、力石が切り出してきた。
寒さも深まってきて、もう冬だと言ってもおかしくない秋だ。
それでも俺は、ビールが美味くて、まだまだ楽しめる。
今夜も相変わらず、力石はふらりと現れて、俺の隣で飲んでいる。
どこで俺がいる店を嗅ぎつけてくるのか、一度聞いた方がいいかもしれない。
しかも力石は、そろそろ燗酒を投入するべきか、と悩んでいた俺を笑うかのように、熱燗をぶち込んできた。
俺が見つけられなかった一品を、さりげなく注文するという、嫌味も込めて、だ。
悔しい。
そんな力石からの問いかけに、思わず姿勢を正してしまう。
「コーヒーは好き?」
「へ? 好き……だけど」
「よく飲む?」
「……割と……普通に」
酒を飲んでいる席で、コーヒーの話になるとは。
力石の野郎、早速酔っ払ったのか。
「あのさ、それじゃ、夜明けのコーヒーって、飲んだことある?」
「は?」
何の冗談かと思った。
マジマジと、力石の顔を睨みつける。
ここで色っぽいネタを持ち出してくるとは。
笑い飛ばしてやろうと思ったけれど、力石の顔は大真面目だ。
顔色ひとつ変わってない。
「……力石よ、それ、何かの冗談か?」
「え? 夜明けに飲むコーヒーだろ?」
夜明けのコーヒー。
確かに。
言葉通りに取れば、力石の言い方に間違いはない。
「……そ、そうだけど……」
「本郷さんは、好き?」
「へっ?」
これはまた、答えに困る質問だ。
俺の知っている夜明けのコーヒーには、深い意味が込められている。
それは、一夜を共にした恋人同士が寄り添って飲む。
そういう場面を、映画やドラマで何度も見た。
「……いや、好きとか、は……」
俺は大人だ。
知っていても、何の問題もない。
逆に、知っていない方がおかしい。
そういう事にしておく。
「り、力石は、飲みたい、とか……?」
「美味しい店があるならね」
「え」
どう見ても、力石が冗談を言っているようには思えない。
もしかして。
力石の年代では、もう通用しない言葉なんだろうか。
「本郷さん、一緒に行く?」
「ひゃっ、な、何を!」
俺の頭の中で、恐ろしい情景がぐるぐると回っていた。
力石と、夜明けのコーヒー?
どこで?
「……? そんなに驚く事?」
涼しい力石の声が恐ろしい。
知らない者の強みだ。
「……あ、あのな、夜明けのコーヒーってのは、海沿いのホテル、とかで……」
「お、いいね。海沿いってのが、また美味しそうだ」
「シ、シーツの……海で、おぼ、溺れ、て……」
俺は大人だけど、言いにくい言葉はある。
下心があるような言葉は、酒を飲んでいる時に言ってはならない。
いや、下心も何も、目の前にいるのは力石だ。
力石なのだ。
下手な誤解は、六回にも七回にもなる。
「お、溺れて……ろ、六回……いやっ」
うまく伝えられなくて、もどかしい。
声が大きくなったり、小さくなったりで、多分、力石にはちゃんと届いてないだろう。
「六回、溺れる?」
「……そうじゃないけど、色々な、大変、なんだよ……」
「よくわからないけど……溺れて冷えるから、熱いのが美味しいって事?」
「ああ! まさにそうだ!」
ある意味、答えに行き着いて、俺は安堵した。
これは、力石の読解力を褒めた方がいいんだろうか。
「本郷さんって、面白い」
「へ……?」
力石の口元が笑いを堪えている。
「あれ? 力石……」
「今の、ウソ。本郷さん、ひっかけてみた」
「何!」
「どういう答えをくれるかなって、ふと思って……」
「あのなあ!」
思わず立ち上がってしまった。
手をあげる訳でも、怒鳴りつける訳でもない。
「本郷さん、まあ、飲んで」
「……お、おお」
力石が飲んでいたお猪口が差し出され、無意識に受け取る。
「少しさめたけど、燗酒はゆっくり変わる温度で、香りも味も楽しめるよな」
「確かに……」
大人しく座り直して、力石から注がれた酒を飲む。
美味い。
確かに、美味い。
「機嫌、治った?」
「……思い出した。何だ、今のは」
笑う力石に対して、俺はちっとも怒ってない。
いつだって、力石が何か注文するたび、イライラしてしまうけれど、決定的な怒りには結びついてないのだ。
勿論、怒るようなら、こうして飲んでないと思う。
「何で見たのかな。夜明けのコーヒーって言い回しがあるって。本郷さんは、どう解釈してるのかなってね」
「……参考に、なったか?」
「ものすごく」
頷きながら、力石が笑う。
思い返したくもない。
俺は今、力石相手に、どういう説明をした?
「……言っておくけど、俺は、酔ってるからな。ちゃんとした答えになってないはずだ」
「わかってるよ。ただ、シーツの海に溺れるって言葉を、リアルで聞くとは思わなかったから……」
テーブルに顔を伏せて、力石が肩を震わせている。
どうせなら、笑う顔を俺に見せたらいいのに。
「……悪かったな」
「意外と詩的だな、本郷さん」
顔をあげた力石は、もうすっかり元どおりだ。
冷静に戻るのが早すぎる。
「なんだ、そりゃ」
「熱燗、飲みたくなるって話。飲むよな?」
力石の話こそ、全くつながりがない。
俺は何も言ってないのに、熱燗が追加される。
「コーヒーじゃないのか」
「……飲みたい?」
「いや。今は熱燗で」
冷酒ほどではないけれど、熱燗も、うっかり飲みすぎてしまう。
鼻からも酔って、多分、気を抜くと泥酔するだろう。
このまま酔っぱらうと、帰れなくなって、力石いうところの正しい意味で、夜明けのコーヒーを飲みそうだ。
当然一人で。
「……まあ、何が正しいのか……ちょっと悩むところだけど……」
「熱燗の話?」
「あ、ああ。そう、だよ」
力石の手元に、新しいお猪口がある。
俺のは、さっきまで力石が飲んでいた奴だ。
「コーヒーは、コーヒーで、改めて」
「……お、おお」
「熱燗、楽しもうぜ。まだ肴も充分あるし」
「よし」
ごまかされたのか、流されたのか。
力石に笑いを提供しただけの、今夜の俺だけれど、少し熱い燗酒の美味さに、全て許す事にした。