そろそろ寒さも穏やかになってくるでしょうか。
うっかり時期を外しそうです(涙)
甘いのをと思ったけど、いつも以上にすれ違いまくりで。
「ああ、寒い……今夜はよく冷えるなあ」
ガラリと入り口のドアが開いて、覚えのある声が聞こえてきた。
「いらっしゃい、奥、どうぞ」
「あ、どうも……あ」
「やあ、本郷さん」
ゆっくり顔を向けると、本郷さんが仁王立ちしていた。
「……お、おお、来てた、んだな」
「こっち、来れば?」
俺が座っている所が、この店で一番あたたかい。
なぜか、困ったような顔になった本郷さんは、いきなり自分の頰を軽く叩いて、俺の隣にやって来た。
「……今の、何?」
「へ? いや、気合をだな、ちょっと入れた」
座ると、いつもと同じ表情だ。
にこやかで、親しみやすい。
それなのに、本郷さんの動きは、想像がつかない。
「そんなに寒い?」
「おぅよ。あまりの寒さに、凍え死ぬかと思った」
大げさな言葉だと思ったけれど、そこまで寒いと、この店の熱い料理は何を食べても美味いだろう。
「熱燗と、魚の煮付け……それに」
壁に並んだメニューを指で確認しながら、本郷さんが注文する。
人の選ぶ料理なんて、あまり気にはしてなかったけれど、本郷さんの声だけは、耳を傾けて聞いてしまう。
どれだけ人がいても、俺の耳に飛び込んでくる声だ。
「力石は、寒くないか?」
「あ、俺? そうだなあ……そこまでは」
「今夜は雪になるって言ってたぞ」
「そうなんだ」
付き出しの切り干し大根を見て、本郷さんが笑顔になる。
「すごく腹減った……」
「本郷さん、お腹すいてるから、寒いんじゃない?」
「え? そんな事ってある?」
「満腹だと、寒さってあまり感じないよ」
「うむむ……なるほど」
本郷さんの燗がつくまで、俺の徳利を差し出した。
「ひとまず、温まってくれ」
「お、おお……すまん」
先にお猪口をもらって、本郷さんに注いだ。
何気に触れた指先は、確かに冷たい。
「いただきます」
グッと飲んで、一息つく。
これだけで、本郷さんが笑顔になった。
酒一杯で、この顔が見られるのなら、いくらでも飲ませてあげたくなる。
「冷酒の美味さと、燗酒の美味さは、もう全然違うよな」
「そうだな」
「俺な、冷酒を肴に、燗酒飲めるぜ」
もう酔っ払っている。
「本郷さん、ちょっと手を貸して?」
「お? 持っていくなよ」
伸びてきた手を握りしめて、改めて確認した。
本郷さんの言う通り、ものすごく指の先が冷たい。
雪で遊びすぎた、子供のようだ。
「何をやったら、そこまで冷えるんだ?」
「別に何もやってないんだけどな……」
俺の手から離れて、本郷さんが指先をさする。
「あ、熱燗来た。飲むか?」
「注ぐよ」
煮付けと、熱燗と。
どんどん本郷さんの顔が緩んでいく。
「働きすぎかな……」
「へえ、そんなに忙しいんだ」
「いや、まあ……」
あえて、日中の姿は聞かない。
本郷さんが言えば聞くし、興味はあるけれど、飲み屋でそれは無粋だ。
「あまり冷えすぎるのって、老化を疑った方がいいかもな」
「ろ、老化……?」
本郷さんの動きが止まった。
唸りながら、真剣に、考えている。
少しだけ、言い過ぎてしまったかもしれない。
「冗談だよ。老化より、風邪が先だ」
「俺はまだまだ若い、んだぞ……そりゃ、オジサンな部分は認めるけど……いや、認めたくないっ!」
「風邪はひいてないのか?」
「そこらは、ばっちり大丈夫」
勢いよく、本郷さんが頷いた。
大げさな動きに、おかしくなってきて、ついからかってしまう。
「それだけ手が冷えてると、夜とか、なかなか寝付けないだろ」
「夜はな、こたつがあるから温かい」
「あのさ、それがダメなんだよ。ちゃんと布団で寝な」
深いため息をついて、本郷さんが呟いた。
「布団あっためる……カイロが、欲しいな……」
一瞬、戸惑ってしまった。
その言葉を、どう取ればいいんだろう。
布団の中で、本郷さんを抱きしめる、温かい存在。
戸迷う必要なんてない。
俺に向かって言ったけれど、多分、俺に対してではないはずだ。
「……あてはあるかい?」
「あて? 酒の? んっと……冷蔵庫になんかあったっけ」
「え」
完全に俺が固まってしまった。
本郷さんは、真面目な顔で考えている。
今のは、高度すぎる冗談ではなかったのか。
「やっぱ、生姜とか効かせてるのがいいかね。唐辛子とかの辛いのは、胃に優しくないか……」
まさか、こんなにも、言葉がすれ違う瞬間に出会うとは、思いもしなかった。
「いや、俺が言いたいのは、カイロの代わ……」
「ああ。待てば海路の日和ありってな」
「なんだよ、それ」
本郷さんの目が輝く。
全く意味がわからない。
「へえ……意外と力石も知らない事があるな……って、何、笑ってるんだ?」
「いや。なんでもない」
笑いがこらえきれない。
本郷さんが、完全に独り者だとわかった事が、なんだかものすごく嬉しい。
「ひとまず、その手だな」
本郷さんを温めるのは、手から。
言葉にする必要もない。
俺は本郷さんに、いい手袋を見つけてこようと思った。
側に俺がいなくても、温めてあげられる手袋がいい。
手袋なら、日中、側にいられる。
普段の本郷さんの姿から、似合う色を考えてみた。
黒っぽいのか。
明るい色か。
勿論、品物を見て、じっくり選ぶつもりではいる。
何気なく、店内のメニューを見ながら、閃いた。
「……今気がついたけど」
「ん?」
「本郷さんって、いなり寿司色だ」
「へ?」
目の前にある。
何かに似ていると思っていた。
ずっと考えていたのが、今、結びついた。
いなり寿司だったのか。
すっきりして、気持ちがいい。
「……いなり寿司色って……」
「いい表現だろ」
「食べる気か」
「……何を?」
本郷さんが、冷たい手を組んで、ぐっと力を入れている。
あの手は、すぐに温かくなるだろう。
早く手袋を見つけてこなければならない。
「……むむう……おまえのせいで、いなり寿司が食べたい……」
「共食いだ」
「……何!」
大きく口を開けた本郷さんを見て、流れるようにいなり寿司の注文をしてやった。