のんびりとした夜は、まだ始まったばかりだ。
なんとなく喉が淋しくて、飲んで帰ったのにビールを一本開けてしまう。
「そろそろ、こたつも片付けるか……」
大きく息を吐いて、一人。
今夜の店を思い出す。
駅から一本入った道を曲がったのには、なんの意味もなかった。
適当に歩いて帰るつもりが、ふと小さな暖簾を見つけてしまった。
「おお……あれは、ちょっとキタぞ……」
なぜ今まで立ち寄らなかったのかが不思議なくらい、俺の好みの城だった。
店内の雰囲気もいい。テーブルの触り心地も実にいい。
おすすめメニューにポテトサラダがあるのが、真っ先に注文してしまうほどよくて、俺は終始笑顔であちこち眺めていた。
「む。力石、来てないだろうな……」
不意に気配を感じて、慌てて店内を見回す。
俺しかいない。
ここしばらく、ずっと顔を合わせているような気がしていたのは、多分俺の気のせいだったのだろう。
「おまえにも、予定があるってもんさ。なあ、力石よ!」
思わず大きな声で、誰もいない隣に話しかけてしまった。
「……す、すいません、お勘定を……」
これが原因で、慌てて店を出てしまった。
酔っ払っての失敗は、今まで何度も繰り返して来たのに、なぜ今夜だけ、こんなに恥ずかしくて立ち去ってしまったのだろう。
ほとんど酔ってないしっかりとした足取りで、俺は悲しく家に向かった。
「だから、マジで、力石が悪いんだって」
こたつはいい。
冬の寒い間、俺の布団でもあった。
冷たい布団をわざわざ敷かなくても、心地よく温めてくれる。
乾燥しすぎて風邪をひくというのは、後になって知った事だ。
「力石が来てたらさ、俺はあんな……大声で……」
ビールを飲んで、グチを吐く。
誰もいないと快適だ。
好き勝手言っても、なんの問題もない。
「だいたい、なんで今夜は会わないんだ? あれだけいつも、現れるくせに。しかも、格好よくだよ、全く……?」
今、変な事を言ってしまった。
格好よくとは、誰の事だろう。
この世で、俺くらい、格好いい男はいないはずだ。
「もう……! なんで俺は、こんな……」
突然、固い音がした。
窓は閉まっている。
ゆるい風はどこから入っているのかと、顔をあげた瞬間、視線が止まってしまった。
「……おお、やってるじゃないか」
「り、力、石……?」
「途中でいい店を見つけて、つまみ、買って来た」
手にしていた袋を、こたつの上に置く。
ごく自然に、俺の前に腰を下ろした。
力石、だ。
「ど、どうした、今夜」
「ん? ちょっとこっちの方に来たんで、本郷さん、泥酔して死にかけてないかなと思って覗いた」
少し前、力石に合鍵を渡した。
そんな事をしたのは、生まれて初めての経験で、死ぬほど緊張したけれど、力石は、俺とは違うクールさでもらってくれたのだ。
その鍵が使われた。
それだけの事に、何やら言葉が止まってしまった。
「俺もビール、いい?」
「お、おお。モチのロン……あ」
「いいよ。本郷さんは座っていてくれ」
立ち上がる隙も与えてくれない。
皿と箸と、ビール。
力石の手際の良さに、なぜかムカついてきた。
「……どうかした? 本郷さん」
「別に」
今現れるのなら、さっきの店で会ってもよかったのに。
あの場に力石がいたら、俺はもっと店を堪能出来たはずだ。
文句が、激しく飛び出しそうな時だった。
「このあたりも、なかなかいい店があるな」
「ん?」
「焼き鳥、包んでもらったんだ。あと……」
力石が、持って来た袋を開けていく。
「あ! ポテトサラダ!」
「本郷さん、好きだろ」
「あの店のか」
「知ってる?」
「……勿論。今夜も寄って来たところ、だ」
「へえ。さすがだな。あ、もしかして、かぶった?」
「とんでもない。大好きだから、いくらでも食べる」
頭をブンブン振って、喜びを表した。
子供じゃないのに。
それにしても。
さっきまでの敗北感はなんだったんだろう。
今夜の力石は、俺の真似っ子だ。
これだけの事が、俺は、嬉しくてたまらない。
「今度、一緒に行こうか」
「おう! あ、でも今、酒も飲みたい……!」
「いいよ。この後で」
ひとまず、ビールを開けて乾杯する。
さり気なく隣に座ってきた力石が、輝いて見えたのは、焼き鳥があまりに美味かったからだと思っておく。