迸りました。ええ。もういてもたってもいられず。
「その六十四」での妄想です。
あれは完璧に力本回でしょう! という思い込みより。
ちょっと、ラブ度増し増しです。だって、そういう話だったんだもん(独り言)
浅草から覗き見しただけなので、スカイツリーは、いつか登ってみたいです。
「……押上くんだりまで来て、か……」
歪む視界は、目の前を隔てるガラスが、曇っているせいだとばかりに思っていた。
ため息をついて、ようやく泣いている自分に気がついた。
俺は今まで、何をやっていたんだろうか。
そっとガラスに近づいて、眼下に広がる星を見る。
いや、あれは星ではない。
眩しく映る幸せそうな夜景だ。
あの輝きの中で、俺ぐらい悲しみを味わっている人間は、そうはいないに違いない。
優しすぎて、どんどん落ち込んでいく。
「点在する電気だろ……あんなの、ただの電気だし……」
自分でも、嫌な言い方をしたと思った。
酔った勢いではない。
今夜の俺は、果てしなく深い敗北感に、打ちひしがれていたのだ。
スカイツリーの見える所で、なぜ力石に出会ったのか。
悔しいのはそれだけではない。
俺が入った時点で、力石は店に馴染むように食を楽しんでいた事だ。
選んでいた料理も抜け目ない。
店員とも、ごく普通に打ち解けていた。
あの状態でなら、何をやっても真似っ子になるのは俺だ。
どうして、力石にかなわないのだろうか。
「ああ! もう! 俺が嫌だ!!」
「……困った本郷さんだな」
振り返らなくても、目の前のガラスに映っている。
黒い、見慣れない力石。
「どうした? 俺、何かしたっけ?」
力石の声は優しい。
さっき、俺を打ちのめした圧倒的な脅威は感じられない。
どうした、は、俺が聞きたいくらいだ。
「なあ、本郷さん」
「おおぅ!」
音もなく近寄って来た力石に、肩を触れられて、飛び上がってしまった。
その手は、俺の動きを封じるかのように重い。
「あの店、気に入らなかった?」
「いいや。すごくよかった」
「じゃあどうして泣いてるんだ? こんな所で……」
「俺にもわからん!」
思わず子供みたいに叫んでしまった。
目を丸くした力石が、吹き出す。
「わからなくて泣くって……本郷さん」
突然、強い力で肩を抱き寄せられた。
力石の身体に密着する。
「な、何をしやがる」
「何をって、泣いてるから」
「帽子が! 困る、だろ……」
「外したらいい」
力石が俺の帽子を掴んだ。
そのまま、可能な範囲の遠くに持っていってしまう。
「ちょっと待って、俺の……」
「今は邪魔」
取り返そうと思ったのに、俺の手は、意思に反して動かない。
肩から、力石に押さえつけられている。
「本郷さんが泣いてると、ちょっと困る」
「なんで?」
「俺も、どうしたらいいのか、わからなくなるから」
「……じゃあ、放っておけ」
「それが出来るなら、本郷さんに声はかけてないからな」
頰が熱くなった。
視線を向けるまでもない。
力石の唇が撫でている。
「こ、こんな、とこで……」
「誰もいないよ」
「どこかにカメラが! ガラスにも映ってる!」
「別にカメラはいいよ。それに、さっきと同じだ」
「へ?」
ガラスに映る力石を見た。
力石も、ガラスに映る俺を見る。
直接じゃない視線のやりとりの不自由さに、思わず笑いが漏れる。
「本郷さんが店に入って来た時、俺はすぐにわかったのに」
悔しいけれど、俺は一瞬わからなかった。
「……どうして、いつもと格好が違う、んだ?」
「ああ、これ?」
「裏切りじゃないのか」
思ってもない言葉が、勝手に口から出た。
力石も目を丸くする。
俺もだ。
「裏切りって?」
「い、いや、別にそう、深い意味じゃなくて……そんな、いつもと全然違う格好じゃ、俺が気付かなくて当然だろ」
「それを言うなら、格好だけで俺に気付かない本郷さんは、もっと裏切りだよ」
「おお……」
なんとなく、納得してしまう。
「俺を、ちゃんと覚えていてくれよ」
「……うおっ!」
力石の唇が、俺の涙の跡をたどり始めた。
くすぐったくて、変な声が出る。
「こ、こいつ、こら!」
「塩っ気が足りないとは思わないけど、追加するにはちょうどいいかな。ね?」
「勝手に取るな! 俺の塩分だ!」
調子に乗って、舌まで伸ばしかけていた力石が、じっと俺を見る。
ガラスに映る視線は、直接見るより身体にくる。
「じゃあ、改めて。本郷さんの塩分、俺にくれよ」
より強引になった舌が、俺の目元をゆっくり撫でて、時々くすぐるように頰と鼻の先に触れ、口唇まで降りて来た。
言葉も、声すら出ない。
「……本郷さんの泣いてる理由が、わかるようになりたい」
「絶、対に……それ、無理。俺にもわからないんだから……」
「うん。本郷さんにわからなくても、俺はわかっていたいんだ」
「……意味が……」
俺自身のことを、この俺がわからないのに、力石がどうわかると言うんだろう。
なすがままで、力石と口づけを繰り返す。
「……本郷さん、手に力が入りすぎだ」
ふと気づけば、俺は、握りこぶしを固めたまま、直立不動で立ち尽くしていた。
ガラスに映る姿は、恐ろしいくらい、力石に抱き寄せられている。
「……ビールが、苦かった……」
「え? そうなんだ。それだけ?」
「おお……」
苦いのは、ビールのせいだけではない。
けれど、そこを突き詰めていくと、また俺は泣いてしまいそうだ。
そして、きっと力石に舐められる。
いや、舐められるのはいいけれど、舐められたくはない。
難しい、言葉の言い回しだ。
「本郷さん?」
「あ、いや、なんでもない」
喉の奥で、力石が笑う。
こいつは、笑う時もクールだ。
さっきまであれほど憎かったのに、力石がそばにいるのはいい。
いないと探してしまう俺は、きっと酔っているのだ。
そうしておこう。
「じゃあ、飲み直しに行こうか」
「……燗酒がいい」
「え。ビールじゃないのか」
さっきの店で、力石が飲んでいた燗酒は、たまらなく美味そうだった。
店を変えるのなら、真似をした事にはならないだろう。
「まあ、本郷さんが飲みたいなら」
俺を抱き寄せていた腕が離れた途端、何やら肩のあたりが冷えて来た。
力石の手から帽子が帰って来て、俺の頭にかぶせられる。
これも悪くはないけれど、帽子は、俺の好きにしたい。
そっと、自分で向きを直した。
ガラスが目の前にあるのはいい。
「よし……」
「似合うな、本郷さん」
「おお」
空くのを待っていたかように、力石が、俺の手を掴んできた。
指が絡んで、離れない。
「で? この手は?」
「本郷さんが、泣かないように」
「泣いてないって」
「はいはい」
「……燗酒だぞ、さっきより美味そうなやつ!」
「わかってる」
もっと文句を言おうと思ったけれど、力石が笑っているのを見てやめた。
やっぱり、俺の方が幼稚な気がしてくる。
「まあ、苦いビールでもいい、けど」
小さな声で言ったのに、力石には聞こえたようだ。
笑いながら、よりきつく、俺の手を握りしめてきた。