絶望的なまでにカンの鈍い本郷さんと、一気にガッといけないけど、かなり本気の力石……
というのが、甘くて大好きです。たまらん。
「本郷さん、違う〜(涙)!」と突っ込んでいただけたら、今回のネタ、オッケーです。
「じゃあ、力石。乾杯」
「乾杯」
鳩に糞を落とされた、悲しい俺のコートのことは忘れた。
汚れなんて、クリーニングに出せば、数日で元どおりになるだろう。
今夜はモツ焼きを、ひたすら楽しく食べている。
酒は、軽く冷酒をひっかけて、そのまま熱燗になだれ込んだ。
鼻の奥をくすぐる燗酒の匂いは、甘い幸せだ。
ゆっくりと回る酔いも楽しめる。
「やっぱり、燗酒は美味いな」
「おお」
初めて、力石は何の主張もせず、俺の選択に従っている。
大人しい。
大人しすぎて、何を企んでいるのやら、だ。
「モツ焼きに、宇宙を感じるぜ、俺は」
「……壮大だな、本郷さん」
力石と目が合う。
意味なく見つめ合っているうちに、その肩が震えた。
そのまま、しぼり出すような声で、笑い出す。
「おまえなあ……」
「ごめん、本郷さん。ガマンしてたんだけど……」
今夜の力石は、大人しいのでも、企んでいるのでもない。
俺を見て、笑い出すのをこらえているだけなのだ。
当然、今の俺は、何もやってない。
店に入る直前、たまたまからかった鳩に糞を落とされて、コートを汚しただけだ。
この先、二度とないだろうと思うようなタイミングで。
「俺さ、もう鳩、ダメだ」
「それは俺のせいじゃないからな。あいつら、次に見たら、食うぞ」
「鳩を?」
また爆笑だ。
くそ。
汚れを見ないように、そっと引き寄せたコートのポケットに手を突っ込んだ。
手探りで、タバコとライターを取る。
食べている途中で吸うつもりはない。
力石の笑いを、なんとか止めてやろうという、俺の優しさだ。
タバコとライターで、どう笑いが止まるのかは、俺にもわからないけれど。
「そういや、力石って、タバコ吸う?」
ようやく、笑いに打ち勝った力石の視線が、俺の手にしたタバコを追う。
「あ、やめた」
「やめた?」
意外な答えに驚いてしまった。
そういえば、タバコを吸っている姿なんて、見たことがない。
勝手に、プカプカ吹かしているように思っていた。
「いつ?」
「ん……結構、最近……?」
俺は、長い人生で、禁煙をしたことがないのが自慢だ。
やっぱり、力石は、俺に出来ないことが出来るというのだろうか。
タバコをやめる気はサラサラないけれど、ちょっとだけ悔しくなる。
「ちなみに、どういう理由で?」
力石が、不躾に俺を見た。
こっちから視線を外すのは、負けるような気がして、そのまま俺も見つめ返す。
しばし、言葉が止まる。
「本郷さんが、吸ってるから」
「へ?」
「俺は、吸わなくてもいいなかって」
意味がわからない。
俺が吸っていたら、力石は吸わなくてもいいって。
どういう発想からだ?
「そんな謎の理由で、タバコをやめたってのも、すごいな」
「そう?」
俺も意外と意地悪だ。
いや、力石相手に意地悪もクソもない。
戦略と言っておこう。
単に、しつこく聞いているだけかもしれないけれど、酒の席では上等だ。
「じゃあ、突然吸いたくなったらどうする?」
「そういう時は、本郷さんの傍に行けばいい」
「……え……?」
わかった。
力石は、俺に、タバコをせがんでいるのだ。
自分は持たずに、必要があれば、俺を利用する。
なんという、ケチくさい男。
「……力石よ……タバコくらい、分けてやるぞ」
力石の目が、今夜一番、厳しく俺を見た。
深い視線に刺されるようだ。
なぜ、だ?
「……俺、本郷さんは、タバコの匂いがするって、言ったろ?」
力石が動かない。
視線は、俺から離れない。
「……加齢、臭……」
「じゃないよ。俺は、それ、言ってない」
ゆっくりと、力石の視線が、俺の肩のあたりで止まる。
「匂いがいいんだ」
あ。
俺は、タバコの匂いのする男だった。
力石は、俺からタバコをもらいたいのではなく、タバコの匂いでいいらしい。
なるほど、わかった。
匂いだけで満足出来るなんて、禁煙に成功した力石は、実に謙虚だ。
応援してやりたい。
「謙虚すぎるぞ、力石」
「……え? け、謙虚?」
「禁煙を維持するために、匂いでいいとはな」
その時の力石の顔。
見たこともないくらい、呆然とした顔をしていた。
「俺、褒めたんだ、ぞ?」
「謙虚……か……」
何やら考えながら、力石が俺の言葉を繰り返す。
謙虚は、難しかったんだろうか。
別に俺は、間違ったことは言ってない、と思う。
「そう、しとくか……」
「何だ?」
「本郷さん、そのライター、くれる?」
いきなり、何を言い出すのかと思った。
「おまえ、吸わないんだろ?」
「記念に」
「何の?」
どこかの店でもらった、どこにでもあるライターだ。
惜しくもなんともない。
力石に手渡した。
受け取った力石は、軽く手のひらで転がす。
ライターを握る仕草も、隙がない。
「俺を謙虚だって言った、本郷さんの記念」
「意味がわからん」
「じゃあ、鳩に……」
「それはもういい」
「もらうよ」
俺のライターは、笑う力石のポケットに消えた。