本郷さんは、なかなか察してくれないので、結局呑んだくれてるだけです……
じわりじわりと頑張る(?)力石のために、ちょっとだけ、甘さを多めに投入してみました(自分比)ああ〜〜〜!! って気分になる感じ、で。
「う、そ……」
さすがに、こんなところで会うことはないだろう、と、どこにするか迷ったあげく、遠い場所にある店を選んだのに、力石に出くわしてしまった。
ここは、少し早い時間に店が開く。
一番乗りだと意気込んできたのに、よりにもよって力石に先を越されるとは、あんまりだ。
「あれ、本郷さん。こんな時間に珍しい」
「や、やあ、おはよ……じゃない。ばんわんわ……いや、なんでもない」
何を言ってるんだ、俺は。
思わず、自分の頬を軽く叩いてしまう。
「……もう酔ってるのか?」
「酔ってない、これから酔うんだ」
「それはいいな」
出会い頭の力石に笑われるほど、おかしな挨拶をしてしまった。
おはようって、ないだろう。
まだ明るい時間に酒を呑む。
大人に許された、呑んだくれる特権と贅沢を、じっくり堪能するつもりだった。
しかし、力石が先にいたのでは、その魅力も半減だ。
それよりも、力石の活動時間こそ謎すぎて、逆に問いただすことも出来ない。
「本郷さん、変な時間に会うなあ」
「おまえこそ。俺は、時間があいたんで……」
「俺もだよ。偶然だな」
「おお……」
わざわざこの店に来たのに、時間があいた、だなんて言葉で、ごまかしてしまった。
心が傷む。
この非礼は、全力で食べて、呑むしかない。
店内に客は、力石しかいなかった。
今日は離れて座る、と思ったのに、力石に手招きされる。
「本郷さん、これこれ。鮎の塩焼き、うまいよ」
「えっ!」
「今日は、とにかく、これだから」
力石の嬉しそうな声が、俺の頭で大きく響く。
嫌になるほど、同じことを考えている。
鮎の塩焼きと、ビール。冷酒。
俺だって、そのために来た。
なのに、力石が先に食べているのでは、注文もしかねる。
真似だと思われるのは、非常に悔しい。
「……今日も一人、っぽい、よな?」
「ん? もちろん。本郷さんもだろ?」
「ああ。なんとなく、聞いただけ」
力石は、いつも一人だ。
俺だって、基本一人で呑んでいるけれど、力石とは、どうにも差があるように思われる。
静かにやって来て、完璧な選択で俺の胃袋を圧倒して、何事もなかったかのように帰る。
全く無駄がない。
これほど嫌味で、それが似合う男も、他にはいないだろう。
「本郷さん、何にする?」
「俺は……イカ……で、冷酒……を」
迷いに迷って、料理を選んだ。
力石に引けを取らない組み合わせは、やはり迷う。
隣で聞かれているだけに、負けられない。
「あれ、鮎は食べない?」
「ん……そうだな……うん。イカはイカが? なんてね……」
力石の手元の、実に見事な焼き具合。
優雅にくねったその身は、ざくりとかじるためにある。
特に内臓の苦味は、大人にならないとわからない。
あの味と冷酒をあわせたら、天国に近づけそうだ。
力石ごときに、もったいない。絶対にもったいない。
「本郷さん、せっかくだから、カンパイしよう」
「ああ」
届けられた俺の冷酒を見て、力石がグラスをこちらに向けた。
まだ泡の立っているビール。
これまた、悔しい。
「乾杯!」
力石の声が弾む。
俺もつられて弾む。
この瞬間は、力石が相手でも、心が躍る。
「イカもいいな」
「ん?」
「おいしそうだ」
軽くビールを呑みながら、力石が俺の皿を見る。
イカの輝きは、選んだ俺を満足させた。
「俺もちょっと、イカを食べるかなあ……」
「じゃあ、こっち、いけよ」
「うん。お言葉に甘えて」
力石の箸が伸びてきた。
これだけの仕草なのに、本当に無駄がない。
「……こっちも食べる?」
「あ、いや、俺は今日、イカに忠実なんだ」
俺がじっと見ていたのを、力石は鮎だと誤解したようだ。
鮎は、改めて、力石のいないところで食べてやる。
しばしの我慢だ。
「うまいね」
「だろ。イカと冷酒の組み合わせは最高だぜ」
「その勧め方、危険だなあ……」
いつの間にか、力石のビールが冷酒に変わっていた。
ずるい。
隣にいるのに気付けなかった。
悔しさが倍増する。
「なあ力石。昼間っから、そんなに呑んでいいのか?」
「昼間って、そこまで早い時間じゃないだろ」
「そうだけど」
「本郷さんも呑むんだろ?」
「もちろん」
「なら一緒だ」
時計を見る。
夕方とは言ってもいい、か。
昼から夜に変わる複雑な色をした、ほんのわずかな隙間の時間。
一緒にいるのが力石だというのも、不思議さに拍車をかける。
なんだかずっと、力石と一緒にいるみたいだ。
「そうだ。本郷さん、さっき、おはようって言っただろ」
忘れていた言い間違いを指摘された。
顔を合わせた時、なんて言ったらいいのか、これもまた迷ったのだ。
俺は、迷いがすぐ出てしまう。
「……ちょっとした間違いだよ」
「新鮮な響きだな」
「新鮮か?」
力石も時計を見た。
頷きながら、俺をちらりと見て、笑う。
「だって、会うのは夜が多いだろ? 基本、夜の飲み屋で、朝の挨拶もないしね」
「たしかにそうだな……」
ふと、力石の動きが止まる。
酔いが回ったのかと思って、一瞬、その姿を見守ってしまった。
その途端、だ。
「本郷さん、おはよう」
返す言葉が見当たらず、口を大きくあけたまま、俺は、まばたきを繰り返してしまった。
意外すぎるほど、柔らかい響きだった。
俺だけに届いた声には、嫌味な力石の影も形もない。
「……な、なんだよ、いきなり……」
「言い出したのは、本郷さんだから。おかえし」
そこまで引っ張る間違いだっただろうか。
言った力石はご機嫌で、イカに手を伸ばす。
俺の方が動揺している。
「力石……酔って、る?」
「どうして?」
「俺より、意味不明だから……」
「本郷さんより? そりゃ困ったな」
困ったようには見えない笑顔だ。
憎い……けれど、憎くない。
「今、ふと、本郷さんと朝の挨拶を交わすのって、どんな感じかなって思っただけだよ」
「なんだそりゃ」
吹き出すところだった。
クールな力石らしくない、子供っぽい一面だ。
もしかして、本当は酔ってるんだろうか。
だとしたら、俺も、少しばかり付き合ってやってもいい。
「……じゃあ、俺からも改めて言っておくか」
「え」
「おはよう、力石!」
自分からは見えないし、よくわからないけれど、これ以上はない笑みを浮かべてみた。
しっかり、力石と、目をあわせた。
「……本郷さんは、タイミング、きれいに外すなあ……」
「えっ!」
心外なことを言われて、思わず声が大きくなってしまった。
「そういうところが、本郷さんらしいっていうか……」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ。俺は今、おまえと同じように言っただけだぞ?」
「……違うよ」
「どこが?」
冷酒をグビリと飲み干して、力石が笑う。
「本郷さんは、朝からそんなに元気なんだ?」
「お、お?」
「たとえば、朝一番としよう。目が覚めて、目の前にいる相手に、そんな風に言う?」
俺のどこが間違っていたんだろう。
真剣に考えても、わからない。
「言う、よ。朝から元気だよ、俺は」
「……なるほど。じゃあ、いつか確かめさせてくれ」
「確かめるって」
「本郷さんの元気」
謎が謎を呼ぶ。
俺のおはようと、力石のおはようの違いは、何だったのか。
考えてもわからない。
「……本郷さん、まだもう少し、食べるよな?」
「呑みもいくぜ」
「よし。何にしようかな……」
力石の告げる追加の料理が、酔いを誘うかのように、気持ちよく聞こえてくる。
どれも、ずるいくらいに、腹のなる一品ばかりだ。
「本郷さん、冷酒、いく?」
「もちろん」
考えてもわからないことは、酒を呑んで切り替える。
呑んで、呑んで、呑まれないように、呑む。
それが一番だ。
「……生原酒にしようかなあ……」
「おお、いいねえ。最高だ」
しまった。
今から力石につられたら、今夜も泥酔コースで終わってしまう。
「おはよう……か。おはよう、おはよう……うむ……」
酔い潰れないために、小さな声で、さっきの言葉をくり返した。
言い方を変えたらいいのか。
「単純だなあ……」
力石が、隣で軽く笑った気がした。